せーじ

17歳の瞳に映る世界のせーじのレビュー・感想・評価

17歳の瞳に映る世界(2020年製作の映画)
4.6
322本目。Filmarksでも話題になっていたこともあり、観なければなぁと思っていた作品でしたが、フォロワーさん達のシリアスな感想や、そこから想起される内容から漂う重々しさがとてもしんどくて、なかなか観るのに踏ん切りがつかなかった作品でした。今回ようやくルーレットで引き当てることが出来て、鑑賞をすることが出来ました。そういう意味でもルーレットを始めて良かったと思います。




…辛い…
映画自体はミニマムな作りでありながら、すごくよく出来ているなと感じさせられる作品でした。語弊がありますが、一本の映画として観てもかなり「面白い」と思える作品なのではないかなと思います。

■妖怪のような男たちに囲まれた「孤独」
この作品は徹頭徹尾、最初から最後まで、ヒロインの視点に寄り添った形で映画が進んでいきます。それも、ヒロイン自身が「無口で自分の想いを溜めこむ女の子である」という前提があるというのもあって、ほとんど説明ゼリフらしい言葉が交わされないまま、映像と演者の演技だけで状況説明がなされていきます。まずそれがとても秀逸なのですよね。ヒロインの振る舞いとその先にある周囲の人間たちのリアクションや働きかけによって物語がスマートに語られていくというやり方がとても鮮やかに冴え渡っていて「上手いな…」と驚嘆してしまいました。それと同時に、ヒロインの「孤立無援さ」が観ただけですぐにわかるようになっていて、絶望をしてしまったりもしたのですが。
カメラワークなどの映像の作り方も個人的にはとても好みでした。バスの車窓から流れる景色が目的地に差し掛かってという場面転換がとてもスムーズで見惚れましたし、ヒロイン視点でのアングルの使い方といい、構図の取り方といい、とても観やすくてわかり易かったです。とても観やすくわかりやすいと、映像に対しての没入感も高いのですよね。なのでセリフなんて無くとも十分に物語が入り込んできます。これはなかなか出来ることではないと思います。
それにしても、出てくる男たちが全員クズを通り越して「妖怪」のような存在で、同性である自分から見てもとても気持ちが悪かったです。「彼女たちから見たら彼らはこう見えている」というのがとてもわかり易く可視化されていたので、とても嫌な気持ちになることが出来ました。特にドン引きしたのは、バイト先での「真実の口」さながらな恐怖のくだりと、深夜の地下鉄の車内で無表情でこちらを見つめてきたおっさんでしょうか。どちらもあれは人間では無いですよね。妖怪です。しかもそういうものに出くわした彼女たちが無表情なのもまた…ねぇ。そのうえ特にそれが必要以上に強調されることも無く淡々と映画が進んでいくので、こういった出来事が「誇張していないリアルな日常であること」を雄弁に物語っているように感じました。辛い。

■「少女の勇敢な旅路」なわけねーだろ!
と、鑑賞後にこの作品のポスタービジュアルを観て怒りがわきました。
日本語タイトルもまぁセンスが無いのですが、それはひとまず横に置いておくとして、いくらなんでもこのコピーは酷すぎます。何故ならヒロインは周囲の環境条件の下で選ばざるを得ない選択を「選ばされ続けている」訳ですから。「そもそもの話」なんですよね。「妖怪」どもに都合がいい世界にはじめからそうなっていて、彼女たちは元から「孤立無援」な状況なのに、そういう選択しか選べない中で「勇敢」もクソもあるかい!となってしまいます。本邦ではそういったローカライズがアレだということは知っていたつもりでしたが、なんぼなんでもコレは…無いです。
本作で描かれている移動劇は「旅路」などと言ったものではなく「彷徨」と言った方がいいでしょう。ニューヨークに到着してからの、地を這うような「彷徨」はとても切実に撮られており、寄る辺ない孤独と寂しさ、常に「妖怪の襲撃」に備えなくてはならない恐怖と緊張感、そして事務的であっけなく進んでしまう「目的」までもがみっちりと描かれていて、凄まじかったです。特に胸が痛かったのは、「四択の質問」の場面の長回しと「トイレでのメイクタイム」から先のくだりですね。前者はヒロインの表情だけで追い込んでいく撮り方に心底震えましたし、それだけで雄弁に「何が起こったのか」を想起させる演出力に感嘆しました。また、後者の場面も「妖怪」に身を捧げないと先には進めないという絶望感とそれでもヒロインを守りたいのだという"彼女"の献身性が入り混じってこちらに襲い掛かって来るので、何も言えなくなってしまいました。それだけに、こんなコピーをポスタービジュアルに置いた担当者は本当に本当に最低だと思います。

■敢えてぼかされた「事実」と、あまりにあっけない「結末」
しかしこの作品では、こういった題材でおそらくセンセーショナルに扱われがちな「誰なのか」ということと、エモーショナルに扱われがちな「手続きの結末」が、おそらく意図的にそうではない形でサラッと表現されています。自分は、この作品の作り手にとって、その部分は「定義づける必要がない」と見做してそうしているのではないだろうかと思いました。何故なら、彼女たちにとっては世界全体が「そういうふうにできている」訳でしたからね。そこでいちいち「誰なのか」をあげつらったり、感情的に喪失感を表現しても何も意味がないと作り手は考えたのでしょう。それはとても正しい判断だと思います。そしてむしろそう描かれることによって、何とも言えない余韻が心の中に残り、自然と「それならば我々はこの先どうしていけはいいのか」を考えさせる様に促している作りになっているというのが素晴らしかったです。単なる是か非かの二元論に作品が落とし込まれていないのですよね。そこを超えた「そもそも」という部分にまで考えを及ばせる力がこの作品にはあって、観ていてしんどいながらも、一人の人間としての身の振り方を省みることが出来る作品になっているのではないかなと思います。

※※

という訳で、胸に重いものがずしりと残る作品でした。
自分自身も、彼女たちのような存在からそう思われてしまっているのかな…と思うととても悲しいですが、それならせめて、視界に入ることで傷つけない様に振舞っていきたいですね。
「妖怪」ではなく「人」でありたいと自認するのであれば、観るべき作品なのだと思います。
しんどいですけど、ぜひぜひ。
せーじ

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