umisodachi

パピチャ 未来へのランウェイのumisodachiのレビュー・感想・評価

4.0
1990年代内戦中のアルジェリアを舞台に、ファッションデザイナーを目指す少女が立ち向かう苦難と悲劇を描く。アルジェリアでは上映禁止になった作品。

大学生のネジャマは、寮を抜け出してクラブに行ってはトイレで自作のドレスを友人たちに売っていた。しかし、国内ではイスラム原理主義が台頭。街中にヒジャブを強要するポスターが貼られ、戒律を守っていないと見做される人間に暴力が振るわれる事態も起きていた。そんな状況に怒りを覚えるネジュマは、寮内でファッションショーを企画する。友人たちと順調に準備をしていくのだが……。

これは……『スウィング・キッズ』ばりに衝撃が大きい作品だった。反抗精神・独立精神に満ちたネジュマたちが「向かうところ敵なし!」といった風情で寮を抜け出して青春を謳歌する姿からスタートする本作。しかし、白タクに乗ってから現れる検問シーンで、一気に現実を突き付けられる。その後も全編を通じて、彼女たちの溢れるエネルギーはあらゆる局面で邪魔され、罵倒され、捻じ伏せられそうになる。

基本的にネジュマはずっと怒っている。怒り狂っていると言ってもいい。怒って嘆いて怒って、ぶちのめされても立ち上がって、怒りの叫びを上げ続ける。怖いのは、何の気なしに本作を観ていると「ネジュマ、わがままだな」と思っちゃいかねないということだ。

冷静に考えてみると、ネジュマの希望はこれ↓だけ。

・好きな服を着たい。
・勉強したい。
・寮母の許可を取って、寮内で内輪向けのファッションショーを開催したい。
・生まれ育った国で暮らしたい。
・自分の人生は自分で決めたい。

敢えてルール違反といえるのは、夜中に寮を抜け出したことくらい。イスラム教を否定したわけでもない。これだけの希望を持ったことで、罵倒されて、全否定されて、大切なものを失って、傷つけられて、犯されそうになって、命まで脅かされる。本作が映画いているのはそういう世界なのだ。もちろん、気が強いネジュマは常に正しいわけではない。友達に謝らないなど未熟な間違いだってする。でも、その代償としてあの仕打ちはどう考えても不均衡だ。「私は国を出たくない」って言うだけでボロクソ言われるって……めちゃくちゃだ。

「あの情勢のアルジェリアであんなことをしたんだから、どうなっても文句は言えない」

そう思う人もいるかもしれない。でも、やっぱり間違っているのは社会の方なんだよ。命を守るために逃げるという選択肢はもちろん尊重されるべきだし、声を潜めて不本意ながらヒジャブを身に着けた女性たちだって肯定されるべきだが、イスラム原理主義者以外がネジュマを否定するのはおかしいんだよね。

男の家に入るのに同意した=性的同意を示したことにはならない、というのは昨今よく言われていることだ。当たり前だよね。先輩の家に遊びに行った男性が、先輩の機嫌を損ねてボコボコにされたとしても、先輩の家に入るのに同意した=先輩に殴られるのに同意したとはならないわけだから。(内戦中とはいえ)寮内でクローズドなファッションショーをやる=殺されることに同意した、なんてことになるはずはないのだ。自分の身を守るために自衛することと、被害者の行動を責めることは全く異なる話。ネジュマの行動は危険だったかもしれないが、彼女の行動が非難されるのははおかしい。彼女はわがままではない。戦うことを選んだだけだ。

登場人物に寄りすぎているカメラワークがちょっとしつこくて、少し酔いそうになってしまった。しかし、その分ネジュマたちの表情が余すことなく捉えられている。生命力と、怒りと、絶望と、微かな希望に満ちた映画。ジェットコースターのように起伏があって疲れるが、観る価値がある作品だった。
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