【100%勇気 もうやりきるしかないさ】
2020年に結局観られなかった14時間映画『LA FLOR』に挑戦しました。アルゼンチンの鬼才Mariano Llinásは長編劇映画デビュー作『Historias extraordinarias』から4時間を超える超長尺映画を製作している。『Historias extraordinarias』から8年ものの歳月をかけて作られた『LA FLOR』は全6章に分かれた約14時間に及ぶ超大作であり、Elisa Carricajo、Valeria Correa、Pilar Gamboa、Laura Paredesが毎回ガラリと変わる映画のジャンルに合わせて別の役を演じている。冒頭では「世にも奇妙な物語」におけるタモリのような人物が現れ、本作の特徴を図解で示してくれます。4つの自由な物語を束ねるように1つのエピソードがまとめ、最後の1つで映画を花のように彩る。
1部:アメリカのB級映画オマージュ
2部:ミュージカル
3部:スパイ映画
4部:映画についての映画
5部:『ピクニック』のモノクロサイレントリメイク
6部:歴史劇
の順番で物語が紡がれていくのだが、時間配分がかなり荒ぶっており、第6部が30分程度なのに対して、第3部は6時間近くあるのだ。そんな化け物みたいな作品を2020年の年末から観始めた。尚、米国iTunesでは3つのPARTに分割されており、PART1:第2部、第2部/PART2:第3部/PART3:第4部〜第6部となっています。
★第1部:アメリカのB級映画オマージュ
荒涼とした空間に車が一台ある。そこで女性がレイプされるところから始まる。タランティーノがやりがちな強烈なズームにアメリカB級映画の香りが漂うが、何も退屈さまで再現しなくてもと思う。『デス・プルーフ』のようにアンニュイさを魅力にできるならまだしも、あまり面白くはない。ただ、時折、B級映画にありがちな思わぬ笑いを再現しているところは興味深い。考古学研究所に送られてきた目に布を巻かれた骸骨。その布を取るとゴロンと瞳の形をした石が落ちるところや、スカイプ通話中に知人から電話がかかってきて、会話をすると突然悲鳴が聞こえてきて、動揺するのだが、何故かスカイプの先にいる女性がこの世のものとは思えない絶叫顔芸を見せてくれるところに爆笑します。本作はミイラの呪いにかかり『エクソシスト』ばりに大暴れする女を鎮める物語であり、謎の配電盤のコミカルな電気信号の音やクラシックゾンビ映画のような趣気を持ったまま80分を駆け抜ける。なんだかMUBIにアップされそうな少しだけ面白い退屈な映画であった。
★第2部:ミュージカル
ミュージカル映画好きとしては許せなかった。美味しい食材を前に適当な調味料で味付けしたような映画であった。フランスのシャンソン映画を彷彿させるドラマであり、歌の収録により、登場人物が過去と対峙していき、不協和音と共に妥協点を見つけていく話である。『25年目の弦楽四重奏』という傑作が、音楽の不協和音をアクションとして描き、人間関係の不和を重厚に描いていたのに対して、こちらは人間関係の不協和音を歌の掛け合いの力強さで表現する。音楽が良いだけにクローズアップの切り返しだけでミュージカルを表現しようとしているところに腹が立ってきた。確かに、ミュージカルというよりかは人間ドラマに力点を置いているのだが、それにしてもミュージカルを軽視しているようにしか見えなかった。尚、第2部は2時間ちょっとの作品であるのですが、1時間経過したところにインターミッションが存在します。
★第3部:スパイ映画
黒づくめの男が右へ、左へ、まるでメタルギアソリッドに出てくる雑魚敵のような動きでフレーム内を移動する。背後を見ると、草むらがガサガサ揺れており、女が忍者のように鋭利なものを投げつけて敵をやっつける。そして人質携え、4人の女は潜入作戦を敢行するのだが、途中で仲間割れが生じて銃を向け合う。それぞれの女は銃の構え方が異なり、銀の拳銃を持つ女や、二丁拳銃のような持ち方で睨むような女がいる。それが最後には、有名な劇中写真のように一列に並び銃を構えるようになるプロセスを6時間かけて紡ぎ出していく。正直、スパイ映画が007は別格として得意ではないので、話自体は退屈だ。韻を踏んだ饒舌なナレーションも鬱陶しく感じる。しかしながら、銃の魅せ方、スリルの魅せ方だけはカッコいい。中国軍との一触触発な状態で、中国語の原稿を読み上げ、一難乗り切る場面に始まり、盗聴する敵を翻弄するために、トランクから再生機のスイッチを推し、女に原稿を喋らせる演出。ターミネーターのような男が「プロトコミンスカ、、、プロトコミンスカ、、、」と呟きながら一人ずつ血祭りに上げる場面など面白い表現が多い。また、本作は映画史にある通俗な映画に対して愛を捧げているので、街中でスパイ同士が愛を確かめ合うのはいいのだが、露骨に銃を持ちながら街を颯爽と歩く異様な場面が映っていたりします。よくよく考えれば、冒頭の女スパイ同士銃を向け合う場面では、銀色の拳銃を構えるスパイはリロードする必要があり、銃を構えたところで脅しにもならないはずだ。次のカットではどうやらリロードが完了したような銃の形をしていたので、ひょっとしたら撮影ミスだったのかもしれません。
第2部までは2021年ワースト映画候補かなと思ったのですが、第3部観て、案外そうでもないなと思いました。時間の問題さえ解決できればイメージフォーラム界隈でヒットしそうな映画である。
★第4部:映画についての映画
スランプに陥った男の映画製作を描いた話。要するに『8 1/2』や『バートン・フィンク』のような俺様スランプ、俺様映画史映画だ。この手の映画は監督の映画愛が凝縮されており面白いのが相場と決まっているのだが、本作は退屈な拷問であった。道に木を止めて撮影するクルーと監督の自問自答が交互に映され、紫の花をつけた木をホームビデオに取りながら、「ああじゃない、こうじゃない」と唸る様子を30分近くも魅せられるのだ。流石は14時間の尺があるだけあって時間の使い方が凄まじい。そして本作が、映画で花を咲かすという理論に頭でっかちとなってしまっているのをメタ認知し始め、この物語では蜘蛛の身体を物語に例えてちっちゃかめっちゃか苦悩しているのだ。それでペドロ・アルモドバルの最近の映画のような印象的なヴィジュアルからデカダンスを染み込ませる演出を盛り込んでいく。そんなMariano Llinásの自慰は、10年近くかかった虚無の轍を観客にまで押し付けてただただ苦痛だし、そもそも4つの花弁を纏める物語はこれではないのかと疑問が湧きます。確かに後述するが、全体を通して考えると、第5部にこの物語があっても不細工になってしまうのだが、それにしてもこれじゃあ、茎とか、花弁の軸が花弁になってしまっているキメラですよ。
★第5部:『ピクニック』のモノクロサイレントリメイク
皆さんご存知の通りミシェル・アザナヴィシウス監督の『アーティスト』は、クラシック映画のパッチワークをすれば映画ファンを騙せるでしょと軽薄な意志で作られた駄作なのだが、その道をMariano Llinásも歩んでいました。ジャン・ルノワール『ピクニック』を白黒サイレント映画としてリメイクしたものなのだが、サイレント映画が少ない今にサイレント映画を撮ればウケるのでは?という底の浅さが際立つ。トーキーになってから映画は崩れたと言われる程に、サイレント映画はヴィジュアルのメディアである映画の根幹を支えており、カットの繋ぎや空間演出をストイックにこだわらなければならない。それはセリフがなくても、字幕に頼らなくても物語が分かるべきなのだ。しかし、本作は『ピクニック』知っているでしょ?とあぐらをかき、カットの繋ぎで躍動感を魅せることはしない。しかも、飛行機雲でハートマークを描くシーンがあるのだが、潰れてしまっている。これでOKしてしまったのが許せません。理論で頭でっかちになる映画を作るなら、せめてこういうところ拘ってほしい。木々の後ろを白飛びさせ、人を強調する演出で満足しないでほしいと思う。
★第6部:歴史劇
最終章もサイレントなのだが、中間字幕がついており、朧げに映る女性の逃避行が淡々と映し出される。100年前の映像を掘り起こしたかのようなノスタルジーがそこにある。Mariano Llinásは長い長いジャンル映画の脱構築を通じて、ようやくガイ・マディンの理論に行き着いたらしい。サイレント映画時代こそが究極の映画だという理論にそって、太鼓昔の映画を発掘し、そこへ現代の世界を近づけることで異次元の映画を生み出す技法をMariano Llinásも見出していたのだ。確かに、このエピソードは総てを終わらすものとして説得力があり、映画全体を支える存在としての風格があった。
★『LA FLOR』総括
実は、本当の勝負は6章終わってからにある。なんと本作のエンドロールは36分もあり、上下逆さになった世界で、撮影班がバラし作業しているのを延々と映しているのだ。なのでインディーズバンドのライブかよと音楽も5曲ぐらいやっていて大草原不可避だ。最後の最後まで困惑します。
結局『LA FLOR』はなんだったのだろうか?
私はMariano Llinásの意識の流れだと思う。アメリカのB級映画のオマージュから入った本作は、やがてサイレント映画の魅力に気づき、最後には異次元の映画のあり方を見いだす。そのプロセスが14時間近くかけて描かれていたのではと思う。なので、明らかに第五部に相応しいと思われた第4部も本作を線として捉えると、その位置で正しいこととなる。ただ、あまりにダサくて退屈な本作を賞賛する気にはならない。コウペンちゃんにでも会って「完成させてエライ!」と言われてくればと思う。
とはいっても「上映時間30日の映画を作って、2020年12月31日に上映し、終わったら燃やすよ」とイキっておきながら、C'est finiとだけ書いて謝罪もなしに終わらせた『Ambiancé』のAnders Weberg監督よりかはエライとは思う。
というわけで私の2021年はワースト候補から始まりました。