銀色のファクシミリ

泣く子はいねぇがの銀色のファクシミリのレビュー・感想・評価

泣く子はいねぇが(2020年製作の映画)
3.8
『#泣く子はいねぇが』(2020/日)
劇場にて。家族、故郷、責任。全てを投げ出し逃げ出した青年(仲野太賀)。二年後、ある事情を知って帰郷し、変わらぬ人、変わった人、あの頃の自分、現在の自分を見つめて答えを出す108分の物語。セリフなき最後の決断が、物語の意味を雄弁に語る良作でした。

あらすじなしで感想。主となる物語は、それだけを言葉で語ってしまえば淡白なのですが、演出で幾重にもその主軸を巻いて多面的な物語にしているのが秀逸。主人公・たすくは様々に追い詰められていて、さらにある騒動で故郷を離れるのですが、その全てが彼の責任だとは描かれていません。

冒頭でいえば、未熟な人の部分は「コピー」「すぐに落ちる正月飾り」で表されています。しかし「寝ている市職員」「病気がちの義父」は彼の責任ではなく、そして「出生届け」「牛乳」からは彼なりですが家族に愛情を注ぎ、役割を務めようとしていることが伝わります。

そして「なまはげ」への参加。楽しみよりも義実家の家業を継いだ彼なりの狭いムラ社会でのつきあいに見えました。「なまはげとは怖いだけの鬼ではなく、父親像の継承」のような謳い文句の裏で、なまはげ参加者が父親として子供と過ごせないジレンマも描かれている。

終盤の「目を離した時」の場面でも分かるとおり、主人公を一方的に悪者にしていない。そもそも主人公の対比となる「成熟した大人」は誰もいません。終盤に現れる「彼」も成熟した人かは判らない。むしろあの人の家の景色と冒頭の義実家の景色、その差を対比のように描いたのがこの映画の残酷さに思えました。

ラストは「そして父になる」とも「そして父になれなかった」とも解釈できると思います。でもこの映画が描いてきたこと、主人公の目指すべき父親像が示されないことから、このラストは「何者であれ人生は続く」を示したんじゃないかなあと思いました。感想オシマイ。

追記。佐藤快磨監督の作品を初鑑賞しましたが、外連味ありつつ作品の空気を壊さずに違うテイストを入れる演出が巧みだなあと感じました。具体的には「クイックルワイパー」「開店前に電話してる店員」「運動会のビデオ」。運動会のあれも確かに父ですわ。笑いと深みの同時追加の匠の技。追記もオシマイ。