銀色のファクシミリ

僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46の銀色のファクシミリのレビュー・感想・評価

4.0
『#僕たちの嘘と真実Documentaryof欅坂46』(2020/日)
劇場にて。2015年8月に結成、2020年10月に改名リスタートとなったアイドルグループ「欅坂46」約5年間の軌跡。2020年の鑑賞作品で一番迫力のあった音楽映画であり、映画館で観られて一番良かった映画であり、一番消化不良感の残った映画でした。

感想。約5年分の密着映像とステージ映像に加えて、最新のメンバー個別インタビューもあり素材は潤沢。ただ約5年間という長い期間を描くには(元より全てを描くなど無理だとしても)、137分ではあまりに短いと感じました。

自分のような浅いファンから観ても、丸々オミットされた事柄や、深くは触れられていない事柄に気づくし、卒業メンバーからの視点やインタビューがないのも気になるところ。どう描くにしても前後編4時間分くらいは観たかったのが正直な感想です。

しかし「前後編」で夢想すると、この映画の曲配列は考え抜かれていると思えました。前編を時系列で考えると15年~17年前半まで。「サイレントマジョリティー」で始まり、クライマックスの「二人セゾン」、ラストの「W-KEYAKIZAKAの詩」の多幸感に包まれるがエンドの「不協和音」で変化の予兆を感じる。

後編は「不協和音」で始まり、最後のシングル「誰がその鐘を鳴らすのか?」で終わる。ではとクライマックスを考えると、どのシングル曲も不足と思えるのです。実際の映画で選ばれたのは、平手友梨奈のソロ曲「角を曲がる」。19年9月東京ドームでの彼女のこの曲がクライマックス。確かにこれしかない。

デビューからずっとセンターを務めた平手友梨奈のラストが欅坂46のラスト。この場面のように映画が「欅坂46と平手友梨奈」の物語になるよう、楽曲とライブシーンが練られて並べられています。冒頭では平手という存在を浮き上がらせるエピソードとして18年の全国ツアーの「ガラスを割れ!」が示される。

クライマックスと並んで白眉だったのは、18年大阪城ホールの「避雷針」。17年に突然はじまった平手不在の状況に、当初は戸惑うメンバーたちが、18年にはそれぞれに代理センターを務める覚悟とパフォーマンスを示しはじめていた時期。ここに平手とメンバー全員が正対して手を差し出すところから始まる「避雷針」を持ってくるのには唸りました。なにより「避雷針」が「Eccentric」のアンサーソング的な曲なのにも意味がある。「Eccentric」は、自分の知らないところで勝手に作られた虚像に振りまわされることに疲れた「ボク」が、苛立ちと諦念、そして拭いきれない孤独の悲しさを歌う曲。

アンサーソング「避雷針」は、そんな「ボク」の隣にいる人物が「いつだって そばで立っててやるよ 悪意からの避雷針」と共に戦う覚悟を示す曲。平手の穴を埋めるべく奮闘するメンバーの姿とこの場面には、約5年間の活動は、嫉妬と衝突の果ての空中分解ではなかったというメッセージと解釈しました。

しかしグループは2019年2月の「黒い羊」を最後にシングル曲製作は停滞し、2020年1月に平手脱退、7月に欅坂46としての活動終了、10月の改名リスタートへとつながっていきます。「なぜ、こうなってしまったのか?」「どこかで変えられなかったのか?」という疑問への回答は、この作品では語られません。

元々『Documentary of~』シリーズは「その状況下での彼女」たちを描く作品で、どうしてこういう状況になったのか、運営サイドはどういう意図だったのか、は過去作品でもほとんど語られていません。

例えて云うなら「欅坂46」という船の航海を映画にした時、働く船員たちの姿は描かれるものの、この船の船長や航海士、船主は登場しない映画なのです。どうしてこの航路を選んだのか、どこに向かっているのか、航海の末にどこに着くつもりだったのか。それはなにも語られない航海記。

もう少し具体的な話にすると、この映画ではデビュー曲からずっとセンターで居続ける平手の苦しみと、「彼女しか考えられなかった」というメンバーのインタビューが描かれています。しかし曲のセンターというポジションは、立候補でもなくメンバー互選でもなく、運営が曲ごとに指示するもの。結局、幻の9曲目で平手が脱退するまで運営は彼女をセンターにしつづけた。その運営側の意図や構想は明らかにされません。『Documentary of~』と銘打たれているにも関わらず、この視点の欠落は(この作品だけではないのですが)、この映画をドキュメンタリーと捉えるのに自分は抵抗を感じています。

137分で描かれたのは、5年分の豊富な素材を用いて構成され音楽とパフォーマンスで説得力をもたせた「物語」。だからこそ、この作品のタイトルに「僕たちの嘘と真実」とあるのじゃないかなと思っています。「これは嘘と真実の物語。これだけが正解ではなく、また正史でもないよ」と。

またもう一つの「嘘と真実」もあると思っていまして。作品の序盤に、曲のパフォーマンスと終わった時の心境を語る平手のインタビューがあるのですが、ここで彼女は「いつか自分にもそういう時が来るのですかね」と苦笑まじりに語っています。

それから約3年以上の後、彼女は9月の東京ドームで「角を曲がる」を歌い、年末の紅白歌合戦で「不協和音」を歌う。そしてそれぞれの終わりでそれぞれ違う表情を見せるのです。それは「嘘と真実」の表情なのか、どちらも「真実」の表情だったのか。この映画、最大の見どころだと思います。感想オシマイ。