むぎちゃ

ミッドサマー ディレクターズカット版のむぎちゃのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

世界ふしぎ発見のロケハンは命がけである(嘘)


ディレクターズ・カット版にて鑑賞。
ディレクターズ・カットが文字通り監督による再編集であれば、見せたいものや伝えたいものは変わってはいまい。そう思ってこちらを選択。

どの辺を切ったかは知らんけど恐らく序盤の数シーンと夜のシーンとかかな?
決定的に必要ないと思ったのはその辺位で、あとは過不足なく感じた。特に上映時間が長いとは思わなかったな。

内容自体は、トリックの脚本を堤幸彦ではなく中田秀夫が撮ったらこうなる的な。主人公ぺちゃパイだし。


明るい『からこそ』怖い。
ってところまでは正直届かず、明るい『けど』不気味、程度に終始しちゃってたかな。
個人的にはもっと突っ切って欲しかった。めっちゃ期待しちゃってたから。

とは言えグロ描写はなかなか。
特にお気に入りは鶏小屋に吊るされてたアジの開きならぬヒトの開き。生きてるのがまた素晴らしくキチガイな演出。

盗撮ナイキの死に様はさておき、アイコスボーイはなにあれ、ゾンビ?あの設定上薬漬けなんだろうけど。


オープニングでじっくり描いた割には家族の死がそんなに活きてないのは何の狙いなのかな…?
別段乗り越える壁になる訳でも、乗り越えられない障壁になる訳でもなく。うーん?

そんな家族の死よりも彼氏のセックス見たほうがダメージでかいのはなんでだろう。
それまで何回かあった嗚咽に、この時だけ嘔吐がプラスされてたもんね。

あのセックスシーンで周りが乳揉みしだきながらアンアン言い出したところは流石に苦笑いしちゃったけど、同時に笑い飯のハッピーバースデートゥーユーのネタを思い出してしまった。マリリン・モンローのやつ。あれ面白かったなぁ…。
「赤ちゃんを感じるわ」だって。やかましいわエロ漫画かよ。


んでラストの生贄シーン、とても印象的だったのが、死体と廃人の中、唯一意識がある二人の目配せ。
不安そうな一人を優しく見守るもう一人。
けど己に火が燃え移った途端大きな悲鳴を上げ恐怖にひきつる!
ここのカットにある意味本質みたいなものを感じた。
生贄だの伝統だの言ってるけど、結局はそういうことでしょ?っていう。
そうして思い返すと、最初の生贄である老人の女性、グラス掲げる時の表情がとても強張ってたね。崖から飛び降りて顔面ぐちゃぐちゃにすることに喜びなんてあるわけがないんだよ、結局。


さてさてついにラストカット。
彼女の笑顔は何だったのか?

数少ない事前知識によると本作は監督の失恋体験を元に作られたそうな。
つまりこれって『合わない恋人とはキレイさっぱり別れましょ』ってだけの映画でしょ。

半分冗談っぽく聞こえるかもしれないけど、3時間近くの映画内容は全て捨ておき、監督の経験談って事のみに焦点を合わせたらピタリと腑に落ちたんだよね、本気で。

燃える家屋(人燃やすためだけにわざわざ屋根付き家屋建てたのか…)を背景に花ダルマの彼女が泣き喚いているとこ。
周りが同調して泣き喚いているのを見渡してふと冷静になったら、なんだか歯車の合わない人間関係や人生が全て生贄ともに灰と消えて行ったんだと。
そんなスッキリさがよぎった。きっと彼女にも。

ただこの結論は前述の通りそれまでの3時間を無視したような結論だけどね。


あと画作りに拘ってた割には微妙にお粗末なクオリティ部分が気になったな。
車カーブしてんのにハンドル回してなかったり。
部屋から部屋への移動の際のセット感丸出しのカメラワークとか。


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駄文追記
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これってもしかしたらシャイニングなのかな。

奇っ怪な事件に巻き込まれつつ自身がその当事者となるって構図。

要は彼女は女王となった訳だが、元々そういう人間だったんじゃないかと。

シャイニングも最早古典的作品なのでネタバレもクソもないから続けると、雪山ホテルの一角に飾られてる遥か昔の写真に主人公が写っていたように、歴代女王の写真の中に彼女も写っていたんじゃないか?

アメリカにある彼女の自宅に飾られてる熊の絵画がどうしても引っ掛かってた。
けどこの結論の伏線だとしたらあらまスッキリでは。

たまたま外部から来た人間が古来より続く伝統民族の中心になる?んな馬鹿な。
彼女はなるべくしてなった存在なんだな。

あの村にかつて女王だったという人間はいなかった。
それは彼女が生まれ変わり死に変わり女王として君臨し続けて来たからに他ならない。

最初の生贄シーン、意味深な彼女の両目のアップ、この結論を前提に見ればまるで何かに覚醒したような、これから覚醒する兆しのようなカットではないか。

そうするとタイトルのMIDSUMMARがMIDSUMMERじゃないのも他の意味合いがあるのかも。
Oは輪廻の輪っか、Aは始まり。
祝祭は繰り返し、またそのいつであっても始まりなのである…。なんかいかにもっぽく書くとそう思えてくるな。


…あれ、考察なんて柄にもない事してたらこの映画楽しくなってきたぞ。
むぎちゃ

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