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VIDEOPHOBIAのkuuのレビュー・感想・評価

VIDEOPHOBIA(2019年製作の映画)
3.7
『VIDEOPHOBIA』
製作年 2019年。上映時間 88分。
宮崎大祐監督が、大阪のアンダーグラウンドを舞台に、ネットワークの落とし穴から迷い込んだ異世界で追い詰められていく女性の恐怖をモノクロ映像で描いたスリラー映画。
廣田朋菜が主人公・愛を体当たりで演じ、忍成修吾が共演。
また、被害者のグループワークの司会者役にサヘル・ローズが出てた。

東京で女優になる夢に破れ、故郷・大阪のコリアンタウンに帰って来た29歳の愛。
それでも夢を諦めきれない彼女は、実家暮らしでバイトをしながら演技のワークショップに通っていた。
そんなある日、愛はクラブで知り合った男と一夜限りの関係を持つが、数日後、その時の情事を撮影したと思われる動画がネット上に流出してしまう。
自分のものとは断言できないものの、動画は拡散していき、愛は徐々に精神のバランスを崩し始める。。。

今作品はレトロポップでありながら、現代のネット世界の恐ろしい側面を描き、その現実が見てる側に恐怖させる。
(一昔前のピンク映画を彷彿させる冒頭)
人が日常恐れることの一つは、プライバシーがパクられ(盗まれ)、世界中に拡散されていることやと思う。
自分自身を守るためには、誰しも普段から偏見を持っていることを忘れてはならない。
例えば、スマホで動画を何かにアップする。
偏見を利用する人がいたなら、被害者は必ず生まれる。
ネットサービスってのは個人情報(匿名の数値としてのデータ収集が多いやろけど)を収集し、利益を得ている、利用者の多くが無料なんはその辺のカラクリがある。
でも、ネット上の情報ほど、儚いモンはない。
1990年代のホームページが一般き普及し始め、実際は、今どんなけ残っているか。
@niftyとか、たしか00年代に全盛期やったWebログサービスもコンテンツは見られなくなってる(多分)。
当時の生の情報は、既にほぼ消失しているんやないかとは思う。
反面、ネット上の情報は1度公開されたら消せへんとも捉えれなくはない。
デジタルデータは、善きも悪きも複製が容易にできる。
物理的な情報てのはコピーするのも動かすのも手間かかるけど、電子的なデータは寸分たがわぬコピーを取れるし、ニュースや新聞でたまに見かける情報漏えい事件を見ても、パクられ(盗まれ)たことに気が付きにくい。
SNSで投稿した情報、特に写真や動画はさまざまな方法でコピーされていく。
そういう意味では一度投稿すると永久に残る。
入れ墨になぞらえてデジタルタトゥーと呼ぶのは巧いこと例えてる。
小生もタトゥーは消したものの、未だに消した傷は、歳月がたっても消えていない。
特にSNSにおいては、リツイートやシェア、リポスト、リブログといった表現で、人気の投稿がどんどん拡散される。
これは各種SNSの大事な機能やとは思う。
人と人との繋がり、繋がるための仕組みの一つやと思います。
ただ、万が一拡散されたくないようなネガティブな情報やった場合、この方法を通じて意図せず拡散してしまうことになる。
この点に関しては、大人よりも子ども、野郎よりも女子たちが被害に遭うことが得てしてあるんちゃうかな。

※小生もフィルマークス内の投稿にYouTube(音楽が主だが)のURLを確り精査せず張り付けてるのは改めなくてはならないし反省しなければと思った。

ネットの情報てのは、
すぐに消える、って云うのもある意味正解やし、
永久に残るも、ってのもまた然り。
鯔のつまり、ネットにある情報は、コンピューターを操る凄腕ハッカーでさえ自分でコントロールできないということになる。
会話や写真、動画は、ネットの世界で販売される可能性のある情報であることを忘れたらあかんのやろな。
現実の言葉も、ネットの仮想言葉も、我々が思っている以上に危険にさらされてるし、プライバシーの犠牲者は簡単に人生を変えてしまう。
こないな危険な世界を生きていくために、我々は信頼できる人物をインデックスとして持つことが重要やろな。
今作品は、こないなことで思わぬ被害を受けた被害者たちを減らすための警笛ともとれる。
そんな今作品は、作中でいくつものトピックを扱ってる。
最もわかりやすいのは大阪の町。
観光客向けでない(近頃はディープトリップと称してこないなコアな町を巡る女子旅とかも無いことはないが)、のどかでない部分とでも云えば聞こえも善いかな。
このアプローチは、今作品の柱となすもので、暗いリアリズムのひとつであり、主人公が生きる人生によって、その感覚を高めてる。
演劇養成所、意味不明なロールティッシュDJがいるクラブ、主人公の仕事場、ポリ署のシーン、被害者の会でのグループワーク等々は、このアプローチを強調し、この地域をまるでガイドしてくれてるようで、ディープトリップドキュメンタリーとして機能している。
二つ目は、ネット。
特にポルノが、ウェブ上の膨大な数の動画を通して、人々のセックスに対する認識を支配するようになったことを軸にしたものであるかな。
通報に行った女子ポリスへの対応、冷静で現実主義的な方法でこの真実を打ち明けるものの。
彼女に起こったことは大海の一滴に過ぎないと云うかのような一連の事実。
若い女子の恐怖に立ち向かう姿を見ることができる。
最後に、おそらく最も中核的テーマとして、今作品はアイデンティティーの概念。
特に自分自身の認識と他人の認識の違いについて扱ってる。
ドキュメンタリータッチのコメント(ナレーション)は、作中いくつかのシーンを通して継続的に提示される。
愛の友達が、彼女を東京の専門家だと思っていることや、講師が練習生に別の人間であるかのように自己紹介するよう求める演劇の授業、はたまた、性交を記録し、名前は明かさないが自分はまともな人間ではないと述べる野郎、愛が仕事中に着ている衣装、そして何よりもフィナーレは、すべてこの方向性を示している。
ただ、シュールレアリスムや現実とファンタジーの境界の曖昧さが、ナレーションのインパクトを弱め、観てる側をチョイ混乱させ、このあたりで監督は映画のコントロールを失っているように感じられた。
また、在日コリアンに対する人種差別、愛のような事犯に対するポリスの対応、大阪の保守性など、今作品を理解する上で知っておいた方がええ部分が、ほとんど描かれず、説明もない。
せやし、多くのテーマが非常に局所的になっているように感じられた。
その一方では雰囲気で一発勝負してる。 
今作品のモノクロの撮影は今作品の美学にぴったりやったし、音響とともに物語を支配しているような不気味さの主な源となってた。
そのアプローチもまた、一般的な文脈と合っているかな。
愛が感じているであろうプレッシャーを、実際に感じることができるのは、演出と製作の両輪が成せる業なんやろな。
また、編集も確り足並みはそろってたし、テンポの連続的な変化で愛の心理状態を雄弁に語ってた。
主人公を演じる廣田朋菜の演技は自然故にリアルに感じたし、色んなな感情や心理状態を器量良しにに見えたり、蓮っ葉な女子に見えたりと、しかも尺度感を失うことなく、さらに印象的に、主に顔や体の姿勢を通して伝えてた。
今作品は、映像や美学が文脈に勝ったとも云えるが、宮崎監督は(全てではないにせよ)いくつかのメッセージを伝えることに成功してるやろし、ユニークなアプローチが、今作品を非常に興味深いものにしてるって云えるかな。
しかし、好き嫌いはわかれる作品とも云えるが、個人的にはメッセージは確り届いた。
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