きまぐれ熊

BURN THE WITCHのきまぐれ熊のネタバレレビュー・内容・結末

BURN THE WITCH(2020年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

漫画と見比べながら観た

久保帯人の漫画は見開きとコマ割りがアートとして完成しているが故に、アニメだとそのスタイリッシュさを崩してしまう問題が発生している
特に顕著なのが目で見て楽しい魔法詠唱や詩的なモノローグの字面が見れない事
ネトフリで視聴するなら字幕オンにするのもありかもしれない

ただし、アニメはアニメでしか出来ない部分に非常に力が入っているのも特筆すべき
ニニーの私服がフルカラーで見れる事や、どこにも手抜きがない街の背景とか人海戦術でしかやれないレベルの人数のモブが書き込まれている点など。
これらのおかげで映画としての画面の密度は担保されていて、贅沢な映像を1時間ずっと楽しめる

ストーリーは例によってギャグのノリとテンポと絵面のインパクトで、何も説明されないままゴリゴリに勢いで押してくるところがめちゃくちゃ初期のブリーチだなぁって懐かしい感じがする
反面、3話まで見て提示されたキーワードとか元々は子供に見せるための私的な物語だったって事を考えると何となく勝利ではなく自己実現に重きを置いた方向性なんだなって想像できる気がする

分かりやすいのが主人公コンビのモノローグ
のえる視点は(漫画の読み切りの方にしかないのでアニメでは確認できないけど、)、自分が何者かを証明する必要がないから「制服が好きだ」
で、
ニニーが、魔法はかけられるのではなくかける側でありたいから「おとぎ話なんてクソ」
という主張が描かれてる
詰まるところは2人ともアイデンティティの確立に関するテーマを冒頭から設定されている
それがどう果たされるかというと、
残り6羽残っている童話龍に対峙していく過程で答えを見つけていくんだろう
と予想されるけど、ドラゴンを退治してめでたしめでたし!とはならなそうなのがこの物語の面白いところ

童話が象徴するのは過去の慣習とかステレオタイプだと思うので、おとぎ話を破壊していくストーリーには違うなさそうだけど、物理的な破壊ではなくて、新しい価値観の提示という形で、つまり新しいおとぎ話を語り直すって形で果たされるのではないかと思う

というのも、そもそもこの映画、3話あってどれも”主人公がドラゴンを倒して終わり“っていう構成になってない
1話目なんか倒すシーンをまさかのカットだし、説明回の2話は例外としても、3話なんてピンチに追い込まれてこれから逆転か?って所で全く関係ない場所から狙撃されてズドン!なのでバトルの勝敗と物語的な進行が一切関係ない作りになってる
いや、むしろ意図的に予定調和を破壊している構成というべきかも
3話では童話龍シンデレラに追い込まれた段階で、チームのお荷物であったバルゴの持っていたアイテムが突然剣に変化するという、いわゆる覚醒イベントが発生する(これ斬魄刀だよねどう見ても)
これでピンチを脱却出来るか?と思った所でのズドンなのでわざとやっているのは間違いない
所でそれと前後して、ニニーと激重メンヘラ女子メイシーとの問答でキャラクター達の物語としては解決してしまっている
なので今後もドラゴンに勝利するっていう方向とは関係ない所に物語が進んでいくんじゃなかろうか

強いて言えば既存の価値観と戦う物語と言い換えれて、その象徴が童話という旧態依然の価値観の始祖とも言える存在なんだと思う

元ネタとされるレディオヘッドの同名曲は、爽やかな曲調で情報に踊らされる社会を批判している事や、リバース(裏)ロンドンが舞台というキーワードの配置からみても、価値観の断絶とか立場の反転がテーマにあることが見て取れる

そう考えるとロンドンに住みながら日本のことを知らない日系移民っぽいのえるに、常に批判の俎上に上がりやすいアイドルであるニニーという、アイデンティティーを問うのに相応しい要素が埋め込まれていて、オシャレさ優先かと思いきやきっちりキャラクター設定にロジックが詰まってるんだなぁ
...で、シーズン2はいつですか?
きまぐれ熊

きまぐれ熊