【にわか】
豪雨の晩に、自動車運転席に座す男(クロウ)のショットで幕開く冒頭。
男がマッチに火を灯すと、サイドウインドウに付着した無数の雨滴達が シャロウフォーカスに依り 煌めくビー玉の様に輝き始める―。
冒頭から気合いの入った画作りに俄然期待が高まるも、結局ここが作品のピークであり その後これを越えるショットは終ぞ現れないのであった…。
翌朝には既に雨が上がっているのだが、主人公女性(ピストリアス)が乗る車両窓硝子には 前日の雨滴と思しき水滴が未だ大量に付着している。
彼女はその後 ほぼ1日をこの車両と共に過ごす事になるわけだが、驚く事に 窓硝子の水滴は 日没迄そのままずっと付着し続けるのである―。
因みに 彼女が早朝自宅を出てから丸々1日直裁的な降雨場面は存在しない。
陽光が照射されたかと思いきや 次の場面では曇天であったり、路面がドライかと思えば また別の場面では水溜まりが視認出来たりと、どうやら我々観客が計り知らぬところで降雨がある様なのだ。云わば“にわか”な天気。
以上を踏まえると、クロウ=豪雨(絶対悪)、ピストリアス=晴れでも雨でもない曖昧な天気(清廉潔白な純粋被害者とは言えず 彼女にも問題有り)といった表徴性が 本作気象表現から感取出来る。
で、思う。だから何?と―。
抑 そんな事に90分費やす事じゃないし、仮に90分費やすのであれば “最終局の夕映えの陽光”は 冒頭クロウ自動車内シャロウフォーカスよりも 画的強度が絶対必要であった筈だ。…無かったが…。
携帯使用過多も映画として大問題で、物語を進める為の弁明 / 説明 / 整合性付与のエクスキューズにしか為っていない。
携帯通話場面なぞ どちらか片一方だけ映せば良いものを、通話し合うクロウとピストリアスを御丁寧にカットバックし続けるのも完全に無駄である。
にわか映画な印象。
《劇場観賞》