ゲイリーゲイリー

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースのゲイリーゲイリーのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

異端(アノマリー)による正典(カノン)への挑戦を描いた本作は、スーパーヒーローの存在意義を再定義し、スパイダーマンという物語からの逸脱を試みる。
「運命なんてブッつぶせ。」というキャッチコピーが表しているように、運命という概念そのものを否定•破壊し、自らの手で世界を切り開くことを高らかに宣言する作品なのだ。

コミックやグラフィックアートを見事に混在させ、ポップカルチャーの集合体として成立させた前作「スパイダーバース」だが、本作では前作以上に固定概念に囚われず、アニメーションの可能性を更に拡張させていく。
水彩画のようなグウェンの世界や、羊皮紙で描かれたヴァルチャーなど、マルチバースを横断するたびにイラストのタッチが変化していく様は、まさにその最たる例だろう。
物語の序盤で繰り広げられるグウェンとヴァルチャーによる美術館での戦闘シーンから汲み取れるように、過去のアートを破壊し新たなアートを作り出すという、制作者たちの確固たる意思が本作の通奏低音となっている。

また、そうした意思表示は映像表現のみに留まらず、本作の主人公マイルスの決断ともリンクしていく。
カノンイベントに執着するあまりマイルスを異端だと糾弾し、彼の存在そのものを否定するミゲルは、何もかもを規定し管理し抑圧しようとする世間や社会、大人そのもの。
カノンイベントが否定されてしまえば自身の存在意義を失ってしまう、つまり自らの保身のためにマイルスという異分子を変化を頑なに拒絶する彼の姿に既視感を覚えずにはいられない。
それほどまでにミゲルというキャラクターは、社会や世間、大人たちを投影しているのだ。

そんなミゲルが率いるスパイダーソサエティは、カノンイベントを死守すべくマイルスを排除しようと躍起になる。
カノンイベントのため大切な人を失うことは避けて通れないというというルールをマイルスに強要するのだが、彼はそれを受け入れない。
大切な人か、世界かのどちらかを救うという合理的な選択に囚われず、どちらも救うという選択こそヒーローたる所以ではないか。

先述したようにカノンイベントを盲信し、合理性を重視するミゲルたちは社会や世間、そして大人たちを彷彿させる。
自分たちが盲信するルールに従わないマイルスに異分子というラベルを貼り、排除しようとする様もまた同じ。
しかし本作は、ルールを押し付け、合理性を何よりも重視する考えに対し真っ向から反発する。
マイルスやグヴェン、ピーター・B・パーカーの娘など、子供たちを通じて誰もが特別で愛すべき異分子であることを本作は強調するのだ。

ルールを守るのではなく、ルールから逸脱してでも自らの手で未来を切り拓け。
本作はそうしたメッセージを物語に込めるだけではなく、挑戦的な映像表現でも我々にそれを突きつける。
「イントゥ」→「アクロス」と続いた本シリーズは次作で遂に「ビヨンド」、スパイダーバースを超えていく。
このタイトルがどのような意味合いを持つのか、マイルスはカノンイベントの脱構築を果たせるのか目が離せない。