ゲイリーゲイリー

TAR/ターのゲイリーゲイリーのネタバレレビュー・内容・結末

TAR/ター(2022年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

TAR


本作は主人公リディア・ターが自他共にコントロール(支配)できなくなっていく過程を描くことで、権威主義の問題の本質を浮き彫りにしていく。緻密な作りであると同時に解釈の余白も多分に存在していることから、二度三度と観直したくなる味わい深い作品でもある。そして何より、リディア・ターという人物は実在するのではないかと思わされるほどの、存在感とリアリティを体現したケイト・ブランシェットの怪演(最早憑依に近い)から目が離せなかった。

また本作は、冒頭から非常に示唆的だ。ターが何者かにより隠し撮りされ、彼女に対して悪意あるテキストメッセージのやり取りから幕を開けることで、彼女が悪意や憎悪を向けられていることが明示される。その後、作品終了後に流れるであろうエンドクレジットが開始早々流されるのだ。監督のインタビュー曰く、Netflixへのカウンターを意図したそうだが、この構成は奇しくも崩壊からの再生というストーリーライン、つまり終わりから始まりへの物語であるということとリンクしているように感じられた。

そこからは壇上でのインタビュー、ジュリアード音楽院にて学生を論破するシーン、と立て続けにリディア・ターがどういう人物として振る舞っているかがじっくりと描かれている。ただしこれらのシーンも、本作のテーマを示唆していることが次第に明らかになっていく。というよりも本作は全シーンがテーマと密接に絡んでおり贅肉を一切排除した作品と言っても過言ではない。

壇上でのインタビューでターは繰り返し「時間」というワードを繰り返し用いる。指揮者は人間メトロノーム(時間の奴隷)などではなく、むしろ指揮者こそが時間の支配者である、と。そのように受け答えする彼女の態度は洗練されている一方で、自身が支配者であること、常に話を聞いてもらえる立場であることを当然のように享受しており、権力者特有の傲慢さが醸し出されている。そしてそれを見守る赤毛の女性の後ろ姿(後にこの女性がターの元教え子であり、将来有望な指揮官でもあったクリスタであることが判明する)。このように本作は冒頭から作品のテーマであったり重要な人物を随所に散りばめており、先述した通り二度三度と観直すことで更に作品の理解を深められる構成となっているのだ(私は一度しか鑑賞してないので、そこまで理解できてないです、、、)。

ジュリアード音楽院にて学生を論破するシーンも同様、ここで議論されるキャンセルカルチャーについても物語の伏線、そして本作のテーマと密接に絡んでくる。このシーンは、男性権威的なバッハは聴かないというマックスの言い分に対して、作品以外の要素で芸術をジャッジするべきではないとマイノリティ側のターが反論する。女性であり同性愛者と指揮者としてはマイノリティ側に入るターが、だ。マイノリティ側である彼女の言い分が一見正しく見えるこのシーンは(少なくとも私はなるほどと思ってしまった、、、)、マイノリティであろうとマジョリティであろうと権力側に立つことで権力に支配されまうという構図を明らかにしたのではないか。

ただ一方でこうした描き方は個人に対する責務を糾弾するのではなく、権力やシステムそのものを糾弾するため、被害者目線に立つと腑に落ちないはず。もちろん本作がターを擁護した描き方をしている訳ではないが、それでも彼女が主人公であるが故にどうしたってカリスマ性や魅力を感じてしまう。対して赤毛の女性(自殺してしまったクリスタ)とターの関係性は我々観客の推測に委ねられ、クリスタの物語が語られることはない。クリスタは画面の外側の登場人物であり、声なき被害者、幽霊(有名な話ではあるが本作はいくつかのシーンで幽霊が登場する)としてしか描かれない。キャンセルカルチャーをテーマの一つとして描きながらも、被害者側の目線があまりにも抜け落ちていることに違和感を抱いたのは私だけだろうか。

そんな声なき被害者であるクリスタの自殺の知らせをきっかけに本作のトーンは一転。ジャンルそのものもホラーへと転調する。夜な夜な聴こえる些細な物音や、新人チェリストのオリガとの出会いなど、ターがコントロールできていたはずの全てが次第に腐食され瓦解していく。夜中に鳴り続けるメトロノームやオリガが住んでいると思しき廃墟っぽい建物など不気味で興味深いシーンが続くのだが、個人的に最も印象的だったのがランニング中に女性の悲鳴が聞こえるシーンだ。心理的不安が表面化されたとも捉えることができるし、家父長的なクラシック音楽界で今の立場を得るためターが抑圧してきた女性性の悲鳴とも、記憶の中のクリスタの悲鳴とも捉えることができる。こうした何通りもの解釈を可能にするシーンを、幾度となく畳み掛けるトッド•フィールドの手腕は見事という他ない。

コントロールを失いアジアへと拠点を移したターは、とある店でかつて自らが手にしていた権力が如何に悍ましく、どれほど身勝手に他者を喰い物にしていたかを突きつけられ嘔吐する(並んでいた少女たちの配列がオーケストラを想起させ、ターと目があった少女が「五番」だったことも大きかっただろう)。再起を図る彼女は指揮棒を手に取り、若者たちへの指導に励み、「モンスターハンター」コンサートの指揮者として登壇し物語は幕を閉じる。これはバッドエンドなのか。それともハッピーエンドなのだろうか。

冒頭のインタビューで「時間」に対して言及していた彼女が、スクリーンの映像に合わせるようヘッドフォンを着用させられる様は、権力に溺れた指揮者が時間の支配者ではなくなったというバッドエンドと捉えることができる。ただ一方で時間の支配者ではなくなったものの、彼女の原点であるバーンスタインの様に、これからの世代にクラシック音楽を継承する立場になったという一筋の希望が見えたという捉え方もできるのではないか。ター(TAR)がRAT(裏切り者や卑怯者を意味する)にもARTにもなるように、白か黒かといった二者択一のどちらかで描かないからこそ、本作は今もこうして脳裏にこびりついたままなのだろう。