ノマド生活のすすめ(やむを得ず)、みたいな。
大きい社会に所属して生きていると、独立した個としての自分について考えたことないもないし、その在り方を自分で決めることもない。
共同体との関わり方もわからないし、人と助け合うことも知らない。
やっぱりアメリカ人、根っからのリバタリアンって感じがする。
これがアメリカの真の保守っていうか。
リバタリアンゆえに起きたこの不況を、社会主義的な再分配で社会に解決を要求するわけじゃなく、リバタリアン的な解決(ケジメ)。
新自由主義の負の側面、弱肉側に立ったとき、それでも自由は素晴らしいと思えるか。
やっぱり自助的な自給自足的な前提がある。
アメリカの保守って、車の修理も自宅ガレージで自分でやるし、子供の頃から森で狩りとかDIYとか修理の技術を教えてるイメージあるし、そもそも自給自足自衛があたりまえにできて一人前みたいな、そういう雰囲気ある。
日本人からしたら、年取ってから突然クビって相当キツい。
日本の低成長も、単純に悪いとするか、そこのトレードオフもわかる。(所謂潰せない会社、ゾンビ企業)
突然放り出されて、放り出された者たちで助け合うしかないのもすごい。
死の自己決定権にまで言及。
日本だと老人が自分の死の自己決定権を持つことは、(滑り坂理論で)ナチスや植松だと批判されるけど、生命(寿命)至上主義で病院でやれる修理全部やって管繋がれまくってからじゃないと死ねないのも地獄だと思う。
日本人は何かを自分で決めるっていうことを極端に恐れる。
それに伴う責任も負いたくない。
その割に人に責任は負わせたがる。
侵略の危機に遭わず、お上に従うことと、村でうまくやることがすべてだった民族っぽい立ち振る舞い。
権威主義とポジショントーク、そして何よりも適応が先立つ。
自由主義っていうのは、自由至上主義であって、都合のいい時だけつまみ食いして良い理論じゃなく、それが損するときであっても自由を選ばないと、それはただの功利主義であって、ポジショントークだと思う。
ネバダって寒いんだ。
ネバダかアイダホか忘れたけど、荒野みたいなところに行ったことあるけど、広すぎて感動したし、いまだに今まで見た全ての景色の中でナンバー1。
宇宙や自然の神秘に触れて、人間のスケールじゃ測りきれないことを体感するのって、自分の在り方を決める上ですごく大事なのかもしれない。