Anima48

ノマドランドのAnima48のレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
4.4
釣りに行ったり、泳ぎに行ったりするとキャンピングカーが良く泊まっている、ずっとあれに乗って暮らしてみるのは甘い夢なのかな?

荒涼とした草原がまっ平らに広がっていて、山や雲は地平線の果てに落ちそうな太陽に照らされて日本にはないような色合いに染められている。そこに吹く冷たい風のなかを片道2車線の道がどこまでも続いて、キャンピングカーではなくて改造したバンが走り続けている。今日はどこに眠るんだろうかな?

何処までも続く光景はアメリカだから?育つのに幾年も年を重ねただろう老木や、数千数億の時を重ねた山を前にしたら人の想いなんてほんの一瞬かもしれないし、ファーンが身を寄せるアマゾンや大規模な農業システムの前では一人糧を得るなんてほんのちょっぴりなことかもしれない。日本ではあまり見ない光景だった、ここまで雄大な自然に溢れていないし、綺麗な場所にいったら観光地化されて却って雑念が多くて気が散るんじゃないかな。例えば缶酎ハイのひしゃげた空き缶が捨てられてる川岸や、ちょっと走ればコンビニや夜中でも人が歩いているような旅で、孤独を引き受けるのはちょっとつらい。

ノマド。季節ごとに移住して、短期間のバイトをするという生き方、感謝祭明けころにアマゾンで働き、夏はキャンプ場で働き、秋は農場で働く。色んな事情から不要なものを失くして最低限の身の周り品だけを持ち、家族も持たず、組織にも入らず、短いサイクルの出会いと別れを繰り返す。それはどこかでまた会えるという想いがあるから出来ること。でも身軽さや自然の素晴らしさは独りぼっちや過酷な天候との闘いだったりして、仲間との交流とか希望を感じる要素はあるものの寂しさ哀しさ頼りなさの感触は捨てきれないように見える。何かを失くす、例えばそれは頑張って働けば成功して満ち足りた生活を送れるというアメリカンドリームかもしれない。お金からの解放や自然との共生を彼らは謡うけれど言葉と実際との乖離も感じてしまったかも。ただ“貧乏だ”“危険だ”“職が安定していない”と形見が狭い思いをすることはあまりなくて、開拓者精神だという言葉が照れもなく使えるあたり、そこは自由の国アメリカの残照なのかもしれない。

身の回りのものを捨てると維持費は減っていく。生き延びるために捨てるのか、自分が自分らしくあるために自分の過去を捨てていく。どこか希望はあるけれど、喪くしたものは大きく感じる。

彼女は、知り合いから絶縁されてるわけじゃないし、むしろ行く先々で新しい知己を得る、そんなに社交的でもないのに。それなのにその人間関係に寄りかかることは嫌なようだ。独りで生きていこうという意思が妹からは戻ってほしい。彼からは一緒に住みたいといわれても断る。彼女が自分の境遇を嘆くようなシーンもなくノマドになった訳や動機を感情的に語ることもない。あまり自分の考えを口にしない彼女の表情を推し量るような光家が続いてた。

妹夫婦やデイブの家庭のアメリカンウェイな暮らしぶりは、ノマドスタイルとは反対で彼女は自分の手放したものを実感したのかもしれない。自由を得たいのか余計なものを亡くしたい身軽になりたいという想いが強いのかはわからない、もう戻れないのかな。定住は執着を生みそれはエンパイアに戻るのと一緒なのかもしれない。結局は亡くした夫の傍らにしか居場所を求める事しかできないのかもしれない。夫への愛を保つ、愛が保てればどこかでの再会を待つことが出来ればそこがホームかもしれないし。

一足先に行ってしまった人にいつか会えるんだ・・本当にそうだろうか?それを確かめて踏ん切りをつけるために戻ったのかもしれない。そしてその言葉を信じてみたい、賭けてみたい。そういった思いで今日もあのバンを走らせるのかもしれない。例えばそれは不在の主からの電話を待ち続けるような心境かもしれないし、そうやって自分の心持を保つのかもしれない、そしていつかは..。それでも心の中にホームを作れたファーンは本当にハウスレスになったと思う。

希望を感じたり、将来が不安になったり見るタイミングによって感想がかなり変わってくる映画なのかもしれない。映画的にありがちな盛り上がる局面に差し掛かるけれど、“そしてファーンはいつまでも楽しく暮らしました”ってタイプでもないし。カメラが少し揺れていてどこかNHKのドキュメンタリーを思い出す。考えてみると、丁寧にノマドワーカーに寄り添ったストーリーは彼らの旅の助手席に乗っている気にさせてくれるけれど、外から見ているような傍観者的な立ち位置に立っているような気もする。そして見終わっても彼女の助手席から降りることが出来ない自分がいる。
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