かつきよ

ロン 僕のポンコツ・ボットのかつきよのレビュー・感想・評価

2.6
ロボットとの友情ものが大好きなので、それだけで一応最後まで鑑賞はできたけれど……
これだったら同じモチーフでも他に面白い映画や漫画たくさんあるから、そっちを見て欲しいなと思うような作品。
ジャンルやテイスト、テーマは変わるけど、それでもベイマックスの方が簡潔で強力で心地よく似たテーマを描けていました。ベイマックスでいい。

一応AIの友情学習系の〝いろは〟は揃っているので、ラストの方はグッとくるところもあったし、心温まるシーンもそれなりにありました。
ただ、どれもロボット✖︎人間のヒューマンならあって当然のレベル

◆倫理観の欠如・イライラ系

一言で言うと、「倫理観欠如」「イライラ」系映画の要素が強いです。
プロットが同じでも、どのあたりまで表現として突き抜けられるか(表現力)が試される要素ですが、個人的には突き抜け方が下品だなと思いました。
許容できるレベルの線引きで、かなり印象は変わると思うのですが、私はわりと違和感を覚えたり、素直に笑えず、気分が悪くなるような表現もあったので、相性悪いなぁと感じてしまいました。

例えば、序盤の方から具体例を挙げると、ロンが「学習」の名目で人形の首を引きちぎり、続いて生きている鶏や、子供の首を引きちぎろうとします(未遂ではなく割とギリギリまで実行する描写があります)
刃物を平然と振り回し、一歩間違ったら死人が出るようなドタバタを、アニメ映画だからと言ってギャグだと笑えませんでした。
「ポンコツ(Wrong)」の表現として、ロボット三原則やセキュリティシステムに捉われない、ロンの特殊性を演出したかったのだと演出意図は理解できますが、はっきり言ってそんな不謹慎な描写を挟まずとも、同じ表現ができたはずです。
例の他にも細かく違和感のある表現や感覚のズレが最後の方まで存在しました。そもそも、一回もそういった表現を使わずに同じテーマを描けている映画は存在しますので、やっぱり手放しに「いい映画」「皆さんにオススメ!」とは言えないです。
作った人は、アニメや創作物なら不謹慎なくらいが面白い!と思ってるのかな……?と、少し引いてしまいます。もちろんそういう「面白さ」は存在していますし、私自身も不謹慎さを楽しむ時もあるのですが、きちんと弁えられている作品はそれ相応にリアリティラインが下げられていたり、バランスをとったり、何かしら一線は引いてる感覚があります。この映画にはそういった配慮が感じられませんでしたので、肌に合わないなと感じてしまいました。

◆オチがクソ

完全に「これ系」の魂を理解していない人が雰囲気だけ真似て作った感じ。
雰囲気の方向性は合ってるけど、やっていることは本当に無粋というか、AIロボ友情ものが本当に好きな人ならこんな杜撰なラストにはしないはずです。詳しい解説はネタバレなので記事最下部ら辺にて

◆登場人物が好きになれない

全体的に登場人物の人間性が薄く、物語ありきで全員が動いているような不自然さ、貼り付けたような役割感が強いです。
監督や脚本家にマインドコントロールされて、役を演じさせられている感じです。

●主人公

主人公のバーニーは、友達がいない可哀想なやつ。主人公ということもあり、あまりにも可哀想な役割柄ヘイトはそこまで募りませんでしたが、ロンに対する態度に関しては、幼稚で短絡的で、あまり好きにはなれなかったです。
このあたりはバーニーが、というより完全に演出に対するヘイトなのですが……。

バーニーは、序盤ではあまりにもポンコツで危険なBボットに対して辛辣に当たり、返品しようとします。……が、自分に都合のいい動きをした瞬間に手のひらを返して友達認定します。
この時のBボットの活躍というのが、ネタバレ回避のために詳しくは避けますが、バーニーを守る!とか助ける!とかそういう方向性ではなく、単なる暴走の結果って感じなんです。行動原理があるとすれば、それは友情ではなくて自己中心的なものに見えるような活躍なんです。

友情が芽生えた!と思えるような、絆を感じられる出来事が2人の物語の起点になるべきだと思うのですが……自分の都合のいいものを「友達」として所有したがっているだけにしか(私には)見えません。
最初は都合の良さだけで友達認定したけど、いつのまにか本物の友情が……という感じで後半で挽回できればまだよかったのですが、終盤まで「有用な時は友達」「不要、または都合が悪くなったら友達認定解除」という短絡的で自己中心的な関係性の右往左往が続くので、ロンとバーニーの友情に関しては最後まで違和感が残りました。
もちろん、2人は心が通じ合ってるな、お似合いだな、と思えるシーンもないこともないのですが……。ロンの自己犠牲ははっきりと演出されるのに、バーニー側のロンを思いやるゆえの自己犠牲描写が薄く、双方向感が薄いんですよね。結局はバーニーがロンに対して自分の都合のいいものだから懐いてるだけだな……と思えるシーンばかりで、友情って何……?と最後まで違和感が拭えません。

●ロン

一方でロンはどうかというと、序盤から終盤にかけて「お前絶対自我が存在するだろう」という出来上がりっぷり。
徐々に人間性が芽生えていく訳ではなく、序盤からかなり自己中心的な「性格」が見えるんです。
物語を通して学習はするけど、大きく成長はないという感じ。
最初は故障から行動倫理の規範だけが狂ってるのかと思いましたが、倫理というより常識がすっぽり抜けている感じ。なので、中身は最初からある程度出来上がっていて、壊れているから過激なのではなくて、ロンの思考パターンや性格が過激で反社会的なだけって感じ。
最初こそイライラしましたが、最終的に受け入れられさえすれば、このカオスな感じとか跳ねっ返りな感じはこれはこれでいいキャラクタだなと思いました。
ただ、ロンの行動の大部分が「主人公のため」「バーニーのため」という友情的なものではなくて、「プライドの高さから」「自分のため」という要素が強く見えるのが、テーマからはずれているように思えて違和感があります。
もちろん思いやり、バーニーに対する愛情を感じられるシーンはあったのですが……。

●お父さん、おばあちゃん

主人公の父。
息子を想って行動する良父に見えるシーンが結構あるのですが、息子の表情や心理の機微にこれだけ気付けるのに、開始時点の関係性がもうおかしい。
友達がいないことを隠されているわけでもない(むしろ心配している)のに、これまでヒアリングをしたりBボットを買い与えないのはいかがなものかと。寝る間も惜しんで面白グッズをひたすらに売りつけるという仕事に熱中してるのも謎。設定が生かされてるわけでもないので、だったら仕事で外ばかりにいてコミュニケーションが取れてなかったという方が自然で説得力もあります。
毒親という感じではないのに、毒親じゃないと成立しない関係性や設定が両方存在していて、キャラ像に説得力や一貫性がないのです。
息子のことを本当に思っているのなら、きちんと話し合いBボットの予約をすればいいだけ。母親の葬式代金を使い、不正な取引で故障したボットを買い、しかもそれを平然とプレゼントするなんてそれこそ倫理観が欠如しているとしか思えないです。
おばあちゃんはファシストという設定がセンシティブすぎます。現実にいたらかなり関わり合いたくない設定だし、見ていてかなり「危ないな」と思える言動が目だちます。そういった諸々の設定がラストで作用したり、かちりとハマり、カタルシスへ溢れる演出へと繋がるのなら良いのですが、全くそういうわけではなく。なんなら、ただの優しくて孫思いのおばあちゃんで思想がずれていなくても役割としては同じことができます。ならなぜ見ていて不快になったり、少しセンシティブだな、と思われるようなキャラ像にする必要があったのか。

●学友達

カオスの権化かと

●マークとアンドリュー

マークは全体的にいいキャラクターでした。善よりのパーソナリティだし、味方ではあったけど、一方で頭のネジが外れてるのでは?と思える非常識さも見えて怖かったです。
人に暴力をふるった事実そっちのけで「僕の思い描いた理想だから回収して解析したい」という思いが先行してロンに執着している感じは、責任感や倫理観が欠如しているとしか思えず、恐ろしかったです。
ボットには笑える機能はついてないのに笑ってるなんてすごい、と言ってるけど、友達ロボ作りたかったなら笑える機能くらいつけとけよ。
ラストの行動に関しても、まだ解決すべき問題があり、社会問題や傷害事件に発展する可能性が多分に含まれてる事は物語を通して何度も提示されているはずなのに、まるでそんなこと思いもつかないかのように盲信的な選択をする点に置いて狂気を感じました。技術者として、慎重さや危機回避・管理の観点が決定的に欠如……というか存在していないのはありえない。全くもっての自己中心的で破滅的なパーソナリティで、カリスマ性を感じられません。

アンドリューに関してはもっと酷くて、最初から全てを金儲けの道具としか想っていない絶対金銭主義。
友達作りロボというのはあくまでビジネススキームであり、その実態はユーザーのニーズにどこまでも応える事に商品価値を詰めたプログラムAIでしかなく、登録者情報や個人のリソースの全てはBIGデータでしかないと、かなり現実主義的な考え方です。
マークが狂人的な理想主義者ですし、AIというものが現実でも普及している今、ここまで徹底した現実主義者をメインヴィランにするのはかなり踏み込んでいるしインパクトも大きく、個人的には最高にいい設定だと思いました。一昔前のaibo、ファービー、今ではロボホンとか、おしゃべりできる動物AI系のぬいぐるみ、家庭用ロボット、ペッパーくん、AIロボットを見たことない人の方が少ないですよね。それらに愛着が湧いたり、開発コンセプトとして人の悲しみや寂しさを癒したり、人間に寄り添えるロボット、というテーマは必ずあると思うのですが、開発元も商売ですので、はやりある程度登録者情報をビックデータとして商業利用したり、より利益を伸ばすためにユーザ心理に付け入るような現実主義的な視点も存在しているし、むしろ必要なわけですよね。アンドリューは建前的な部分を全て取り払って、商いをする企業としての現実主義的な部分だけを抽出した極端すぎるキャラクタであり、しかもそれが言動や行動の節々から過剰に描写されるために、ありていに言えば、最初から最後まで「超嫌なやつ」なんです。
権力を手にした瞬間の行動もかなり暴走気味で、全くカリスマが感じられないのも大きな敗因です。どれだけ嫌なやつで極端なパーソナリティでも、カリスマと説得力があれば魅力的に映るものですが、そのどれもが決定的にないので、終始好きになれませんでした。
コンセプトと設定はいいのに、演出と脚本がクソすぎます。

◆とりあえず総評

キャラクター性だけではなく映画全体に言えることですが、不必要な設定(不快感を与える表現)が無駄に多いです。アラも目立ちますし、リアリティラインの調整が下手です。
一応最低限の感動や面白さが全くないわけではないので、見る価値がない!とまでは言いませんが、この映画独自の強みは感じられず。

他にも同じテーマで面白い映画や作品がある現状において、わざわざこの映画を鑑賞する意味は薄いと感じました。

ロンの性格は癖がありよかったですし、デザインもなかなかよかったです。

※以下ネタバレ有りでの感想を書きます















※以下ネタバレ有りです

















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※ネタバレ有り






◆ロンのアルゴリズムに関して

作中見る限り、設定的にもかなりBボットが頑丈に作られているのが分かります。
起動前だからといって、車の荷台から落ちた程度であんなふうに故障するのが有り得ません。

●インターネットに接続できない
●常識がない

衝撃やハード的な欠陥からこういった能力が欠如するとは思えません。ハード的な故障であれば、そもそも起動しない、音声認識にエラー、発声装置にエラーなど、入力、出力系に異常が出るはずです。
スマホを落として画面が割れたり起動しなくなることがあっても、Sgriやスマホコンシェルジュの言動がおかしくなることはありえないですよね?
ロンを見ているとまず前提として、「アレクサを落としたらアレクサが他のアレクサじゃありえない過激な発言をするようになりました!」というような強引さと設定の屑さが目立って、製作陣のセンスの無さに呆然とさせられます。

●明らかに性格がある
●ユーモアを理解している

この点に関しても、壊れる壊れない関係なく異常な特異性です。
他のボットがアルゴリズムによってのみ動いているふうなのに対し、ロンは初期からユーモアを理解するような会話が可能で、情報や行動に一貫性や統一感がなく、自身の好みや気分で行動やや行なっている節があります。
主人公の言動や命令に対して絶対忠実ではなく、アンコントロールな動きが多いので、こういった印象を受けるのですが
それが、主人公との対話を通して徐々に……というのならまだわかるのですが、対話によって徐々に獲得されているのは常識や倫理観であり、性格や感情は最初から存在しているように見えるのが「わかってねぇな」と一番思う点です。

●能力にムラがある

この点も徹底してほしかったです。
突然木につっかえて進めなくなったり、でもお前あんなに激しく動けてたじゃんとか
あれはできてこれはできない、というムラが兎に角多い。

●暴力や支払い上限、全ての倫理規定・制限の不在

これが一番ありえないです。
常識的に考えれば誰でもわかると思いますが、こういったセキュリティ面は現代ではかなり徹底されていて、かなり堅固にされています。
ロンの設定にこれらが存在していないというのは、いわばゲームの「見守り設定」やこどもケータイの「セーフブラウズ」、「セキュリティ」などが、ゲーム、携帯本体を叩けば解除できましたと言っているのと同義です。そんなわけなくないですか?
また、途中で学友のボットがロンに触れただけで全ての制限解除が即座に実施されるという地獄のようなシーンがありましたが、ウィルスでもない限りそんなことはありえません。
学友のボットは正規品で通常通り運用されていましたし、コピーしろ!という命令から、本来搭載されていた機能の範囲でロンの問題のあるセッティングを再現したことになります。中身全てがコピーされ置き換えられたならまだしも、違法な設定をされたボットに触れるだけで自身のせキュリティをフリーにするという操作はありえません。特別仕様のセキュリティフリーボットが一台あれば、それに近づくだけで家庭用BOTのセキュリティがフリーにできるなんて、常識的にありえません。まず、制限のないボットをスキャンした時点、少なくとも制限が解放された時点ですぐさま本社にデータが送信され、すぐに機能制限されると思いますし。パッチを作ります!というより強制停止になるのではないでしょうか。
ロンが独自に発達したAIで自身のシステムにハッキングして制限を解除した……とか、ならまだ納得できたのですが
作り手の仕事のいい加減さが一番目立つ場面でした。アニメや映画だからといって、このあたりのリアリティがなおざりにされると本当にクソだなと思えます。

◆イライラ、不快要素

冒頭で挙げた首もぎも不快でしたが、友達集めのためにから回るシーンは単純にイライラ。
ネット接続ができないから、物理的にいいねやフレンドリクエストをする姿は健気で可愛かったですが、、、無造作にそんなことされてもバーニーは恥をかくだけですよね。
しかも、老人を恐喝、生活困窮者に食事を与えて勧誘、酒乱の危険人物を勧誘、果ては赤ん坊の誘拐……老婆と赤ん坊の恐喝と誘拐は個人的に不快感極まりないです。想像しただけで許せないし、笑えない。全然面白くない。これを実行したロンにではなく、これを笑えるギャグとして映像化したスタッフの心のなさに愕然とします。

◆ロンからバーニーへの愛情を感じるシーン

作中ほとんどのタイミングで、ロンは自己中心的でプライドが高く、自分の都合のいい現実やロボットとしての使命(に対するプライド)に則って行動しているように見えます。
しかし、バーニーに対する愛を感じるシーンも少しあって、それはどれも素直にグッときました。

例えば、夜に暗い時、バーニーのために優しく発光するシーン。
あとは、終盤、もうバッテリーも少なくボロボロなのにもかかわらず、死にかけたバーニーを乗せて森の外まで走るシーン。

あれはどちらもバーニーに命令されたわけではなく、自分で考えて行動しています。むしろバーニーは「暗いのは怖くない」「2人だけで逃げよう!絶対に戻らない」と意思表示しており、ロンはその命令に違反している、ともとれます。
ロンには自由意志と思考回路があり、現実から何が一番バーニーのためになるのか理論的に思考して行動しているとしか思えないシーンです。

興味深いのは、ロンの愛が感じられるシーンは決まってバーニーが見ていない、知らない時だけ。

だからこそバーニーがロンに対して友情を感じるのは「自分にとって都合がいい」っていう面しか描写されず、うーん?と思いもしたのですが。かげ注がれるロンの愛に、バーニーが実は気づいている、という描写があればまだ2人の関係性に説得力があったのですが、バーニーはほぼ、都合のいいロンしか知らんのですよね。

わざとこういう演出にしたのかなと、意図的なものを感じますので、あえて考察するなら、ロンはあの性格なので、素直に友を想うような行動が気恥ずかしく、バーニーが見ていない時だけにストレートな優しさを発揮できたのかなとも。

◆学友

●過激配信をするけど視聴者ゼロ(承認欲求からの歪み)
●配信で世界全てと繋がって近くの友達を疎かにする→恥ずかしい動画が世界に拡散され一生の恥を感じる
●同じ趣味の子が見つからず、フェイク動画を作る
●ネトゲに熱中する

この4人が最終的に要点になり、ネットにロンを送り込み世界服全てのBOTのアルゴリズムを書き換えることで大団円になるけど、何が大団円なのかがわからない。意味がわからない
クソラスト

上記四つの問題に関しては、それぞれの人間性、性格、ツールの使い方から生じる問題であって、BOTの設定一つで解決するものとは思えない。ロンの設定が世界を変えた、、、のかもしれないが、セキュリティに問題があり、人を殴ったり倫理観が欠如しており、案コントロールで不安定なロボットに書き換えることが善行なのかという問題。実際、前のBOTとうまく付き合って最大限に有効活用していた人たちにとっては、全てロンに書き換えられて迷惑だと思います。

●友情の形、友達の種族やパーソナリティは人それぞれであって、ポンコツでもロボでもバーニーにとってはロンが親友

というテーマなら、その独自の友達の価値観を世界全てに押し付けるのはどうかと思いませんか?
画面に映された4人だけを見て「みんな不幸そうだ……」というのも勘違意甚だしいし、それで他の10億人のユーザー全部と同じだと想うのも間違ってるし、そもそもロンを送り込んでこの4人の問題解決すると思ってるのもおかしいし、セーフティに問題のあるウィルスと言っても過言ではないデータをネットに拡散することに肯定的なマークもあたおかだし、ラストに関してはつっこみどころしかなくて、違和感しかなくて、意味不明。

◆端的に考えるとオチはつまり

結局マークの組んだアルゴリズムが「友達」として不完全で、バーニーが付箋を使って叩き込んだアルゴリズムが「友達」として完璧だった、ということなので、それを世界に拡散します

〜終〜

そんなばなな。
自我とか意識とかAIの独自進化とか関係ないオチすぎて、テーマと乖離してる
雰囲気だけいい話風にするのやめてもらっていいですか?

◆ロンとの別れ

これも、無理があります。
コピーをアップロードできないことなんてありえないです。
コピーをアップロードできなくて、本体がネットに放流されるなら、データ自体は破壊されるわけではないのだからアルゴリズムの書き換え後にまたBOTハードに戻ってくればいいだけですよね。
別に別れを描く必要はなかったし、バーニーは親友を失う展開はこの映画のプロットを鑑みてメタ的な視点で見ても、全く必要性が感じられないです。

ロボではなく人間の友達がバーニーには必要だった、というオチなのかもしれませんが、ロンが不必要になる道理がないし、結局他のキャラクタ全てがロンのアルゴリズムを搭載した友達ロボットを獲得している世界が大団円のEDなので、その幸せや友達の象徴を主人公だけが失っている、と言うのは普通にバッドエンドと言われても言い訳できないです。

そもそも学友達が急にバーニーと親友ムーブしてくるのもよくわからない。途中で、本当はバーニーのことも気にかけてるけどすれ違ってしまってる……(BOTのせいで)という描写とかがあれば最後のオチがもっと説得力増したのになぁ。

◆よく考えれば考えるほどに

クソ映画寄りの残念映画
かつきよ

かつきよ