新潟の映画野郎らりほう

涙そうそうの新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

涙そうそう(2006年製作の映画)
3.1
【にいにいぃ~(^o^)/~】


仲の良い兄と妹のお話。

イケてる妹が久しぶりに帰ってくる(^-^! 否、久しぶりに帰ってきた妹がイケてる妹になっていたのだろうか? 兄にとってはおそらく後者だろう。 ~『第二次性徴期を別々に育った兄妹』を下地展開する[男女愛すれすれの兄妹愛]。 以下感想~。


兄は妹の為にやたらと一生懸命働く。 自分の全てを 妹の為に注ぎ込む。 最高の 理想的な兄として描かれる。 ~だけどちょっとわざとらしい。
対する妹はと言えば、肉体的に大人の女性と成りながらも少女の様に無邪気に振る舞う。 舞台である沖縄の暑さが 妹の薄着(!)を必然化し『少女としての無垢と 女としての性的蠱惑』を同時表出する。 ~なるほど これが兄が必要以上に[兄らしく]振る舞っていた理由なのだ。
兄にとって 妹は妹以前に[女]であり 兄、否[男]は 女を妹と思い込む為に、自己暗示の為に わざとらしいくらい[兄らしく]振る舞うより他なかったのだ。
だから「ある事実」も妹には明かさない。 何故か? 禁忌性恋愛と社会性との相剋の為だ。


『単なるアイドル映画だろう』とゆう私の予測に反した ストイックなエロスとヘビーテーマを秘めた内容に刮目させられた。 社会道徳との葛藤に苛まれる兄妹を演じた妻夫木・長澤も大変良く この切ないロマンスの行方に大いに注目したが、同時にラストでどう決着をつけるのだろう、と不安でもあった。
長澤のアイドル性と広範への訴求を念頭においた作品の性格を考えると『テーマと全く向き合わない逃げ』となる可能性も予想したのだが…。

嵐の夜に、長澤の部屋の窓を突き破り入ってくる巨木はセックスのメタファーであり、二人が真に-精神的次元-兄妹・男女愛を越えて-しっかりと結ばれた事を告げていた。

私の懸念は杞憂であり、作品は拡大公開のアイドル映画として屹立しつつ 性的主題をも機能させた見事なラストとなっていた。




《DVD観賞》