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サムジンカンパニー1995のOtoのレビュー・感想・評価

サムジンカンパニー1995(2020年製作の映画)
3.0
『SUNNY』や『オーシャンズ8』を連想させる、女性社員が協力してミッションをこなす(巨大組織の悪を内部から暴く)作品。試写にて。

3人の主人公の個性と葛藤は明確で応援できるけど、演出と展開があまりに直球すぎて物足りなさを覚えた。
机を叩く・みんなで一斉に言い返す・大声で泣き喚く・突然英語で話す・相手が物を落として隠れているのが見つかりそうに...みたいな、ベタすぎる感情描写をなんの躊躇いもなくやってしまうところにかなり拒否反応が出た。それはもう「説明」であって「描写」ではない。
顔に実際に付箋を貼る、英会話教室での自己紹介に合わせて人物を登場させる、みたいな映像的な表現や工夫があるものはいいなと思うものの、物語を進めるためにキャラを利用しないでほしい。黒澤明とか観たことあるんだろうか...。

要素を足して足してというストーリー展開に対して、劇中の企業の会長と同じようにコントロールが効かなくなっていって、「実はこうでした!」という後出しが続くので、爽快感もなにもなかった。
実は部下が悪い奴でした、一番信頼していた上司も悪い奴でした、実は買収が進んでいました...。ヴィランの正体も「もうその人しかいないじゃん」という人が案の定選ばれていた。
高橋洋が「シナリオというのは、やりたいことを表現する最もシンプルな形を見つけること」と言っているけど、要素を足した先に待っているのはこれなんだなと勉強になった。
宇野さんが「韓国映画が過剰にもてはやされているけど、韓国映画がすごいのはトップの一握りだけ」というのが本当なんだなと少し安心した。日本と変わらない。

『騙し絵の牙』とテーマが近いかな、と感じたのは、サラリーマンという「今の守られた状況を続けていれば別に不自由なく過ごせる」という人々の複雑な葛藤を描こうとしていたからだろうか。まぁ最終的には会社が乗っ取られようとしているけど序盤ではそこまでわかっていないし。

「主人公には根源的・本能的な欲求が必要」とよく言われるけど、
・1人目:水質汚染を発見してしまい、その悪を見過ごしていいのか悩む
・2人目:社長にCM出演を依頼するも、上司に色目を使ってきたと同僚から濡れ衣を着せられる
・3人目:数学の並外れた才能があるのに、雑用ばかりで持て余している
という葛藤はすごくわかりやすいけど...

『騙し絵の牙』の名優がたくさん出てくるという点を除いても、
・「正義と悪」がわかりやすすぎてすごく古い映画に感じた。最近はヒーロー映画だってそこらへんのことはわかってるよ、MCUを見習って欲しい。
・変わった演出や表現がないにしても、描写はギリギリあり得るというラインは守ったほうがいい。終盤は特に「いい話」にしようとしすぎて、英語教室で手伝ってくれたり、男性上司が一斉に突入してきたり、何を見せられているんだろうという気持ちになった。
・「斗山電子フェノール水道水汚染事件」という実際の事件が元になっているらしいけど、時代設定を25年前にしているのもそういった破綻を受け入れさせるためのごまかしに感じてしまった。

もし自分が企画を受け取ったとしたら、いやたしかに悪の告発というのは『ショーシャンク』とかでもやられているベタに面白いミッションで『エリンブロコビッチ』みたいな名作もあるし可能性は全然あるだろうなと感じるし、そこで女性を主人公にして現代性を担保しようという試みも(安易だしやや古いとは思いつつ)わかるような気はするけど...
そこで25年前の水質汚染事件を選ぶというところにやっぱり必然性も話題性も感じないし、その時点でちょっときついな〜と感じたと思う。逃げ恥SPやキムジヨンで描かれているように、育休問題、親の問題...わかりやすい悪を置かなくても、普遍的な問題っていくらでもあるし、そこと向き合う誠実さが足りなかったんだろうなと思う。
企画性が足りなかったのを、現場の演出の派手さで補おうとした結果、コテコテの演出による「説明」が増えてしまったんだろうと思うと、これは反面教師にしないといけないと思った。料理は素材で決まるのであって調味料で足掻いても美味しくはならない。
イソムというクールビューティが1番の見どころかも。
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