東京キネマ

冷血の東京キネマのレビュー・感想・評価

冷血(1967年製作の映画)
3.3
原作はトルーマン・カポーティの同名ノンフィクション・ノベル。実際の事件は1959年なので、映画化されるまでに8年かかっている。

今の感覚だと、こういった社会的な問題を扱った映画が8年も経ってしまうと旬を過ぎてしまって興ざめしてしまうものだが、この時代はどうだったのだろうか。

この映画のモデルになった事件は、犯人が家族四人全員の手足を縛った上で至近距離から散弾銃を撃ち、全員射殺してしまうという凄惨なものだったので、アメリカ国内のみならず全世界に大きく報道された。映画では直接的な表現はなるべく避けて、加害者の心理的な葛藤にフォーカスしている。だから、目をそむけたくなるようなシーンはない。

素晴らしいモノクロの撮影やドキュメンタリー感のあるプロット、それに虚無的な音楽(クインシー・ジョーンズが抜群にいい)、演出も実にシャープにまとめているんで、映画としての要件は充分に満たしているのだが、何故か今ひとつストーリーにのめり込めない。

世間を恐怖のどん底に落とした猟奇的な犯罪であっても、犯人の生い立ちを辿るとそれなりの理由があるんだ、というのがこの時代独特の社会的なコモンセンスとしてあって、究極的な原因はその加害者というよりも、そういった加害者を生んだ社会に問題がある、というテーマ設定だからだ。

世界的にもフロイトが流行だったり、日本では永山則夫の『無知の涙』などが一部の知識人に圧倒的な支持を得ていたりしていた時代だった。

今の感覚で言えばお花畑的な解釈だとは思うが、時代が経つにつれて、もっと凄惨で異常な犯罪が何の理由もなく日常的に起きるようになって、いつの間にかこういった“犯罪には何がしかの理由がある”という感覚は薄れてしまった。

恐らく、この映画は当時としては相当ショッキングに、それも観客の共感を得て見られたものなんだろうが、今はその余韻を感じることさえ出来ない。

良い悪いの問題ではなく、映画という消費材の宿命だろう。やっぱり映画はその時代あってのものなのだ。
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