ラウぺ

フィールズ・グッド・マンのラウぺのレビュー・感想・評価

フィールズ・グッド・マン(2020年製作の映画)
3.9
グラフィックアーティストで漫画家のマット・フューリーは2005年、自らの大学生活の体験を元に”Boy's Club”のシリーズを描き始めた。その中のカエルのキャラクター「ペペ」は「feels good man(気持ちいいぜ)」のフレーズとともにネット上で拡散し、ある時点からオルト・ライト=オルタナ右翼(alt-right=Alternative Right)のネットミームとして利用されるようになる。ペペの誕生からマット・フューリーがペペを本来の姿に戻すべく奮闘する様子を記録したドキュメンタリー。

アメリカにおけるコミックやアニメなど、ビジュアル系のサブカルチャーを俯瞰できないとネットミームとして利用される以前の”Boy's Club”やペペの人気の秘密というか、理由にはピンと来ないところもあるのですが、マットがマイスペースで”Boy's Club”を始めた際に、世間に背を向けるニート(Not in Education, Employment or Training)がペペに親近感を覚えたとするところはなるほどと納得できるものがあります。
日本にはネットミームに相当するアイテムとしてAA(ASCII art)という偉大なネットカルチャーがあり、2ちゃんねるなどで隆盛を極めたのはご存知のとおり。
“引き籠り”に代表されるニートはアメリカも日本も同様にその表現方法として匿名掲示板でこうした遊びで自己実現を試みていたのだと思いますが、ペペがネットミームとして認知されるようになってから、オルト・ライトのネットミームとして転用されるようになったのは、ペペが一瞥しただけでそのキャラクター性を認知し記憶されやすい明快さを持っていること、他に似たもののないオリジナリティが際立っていたのも悪い方向に作用したのではないか、と思います。

オルト・ライトがSNSを地盤としながら勢力を拡大していく過程は日本のネトウヨの拡大とまったくの相似形であり、なかなかに興味深いものがあります。
オルト・ライトの定義というべきものはなかなか曖昧模糊として捉えどころの難しいところですが、基本的には旧来の右翼思想であるところの排外主義、他民族への差別、白人至上主義、反フェミニズム、ナショナリズムといった思想を組織に拠らず、主にネット(=SNS)を介して拡大してきた右翼勢力というべきものだと考えます。
その特徴はネットでの匿名性を隠れ蓑とすることで、自身の内面世界を隠さず曝け出すことで先鋭化し、自らの価値観に敵対する考え方や勢力を極度に嫌う、個々のアイデンティティの表出の集合体としてひとつのムーブメントを形成している、と捉えることができます。
排外主義やナショナリズムへの傾倒、リベラル的思考、既存のメディアやグローバリズム、フェミニズムや貧困対策などの社会制度などに反対する、という特徴は日本のネトウヨとその成立のプロセス、特徴ともほぼ同じといってよいでしょう。
ある意味、ネットの普及こそがこうしたオルト・ライト≒ネトウヨという右翼的ポピュリストの勢力を拡大した最大の理由であると理解できるのです。
アメリカにおけるオルト・ライトの旧来の右翼との相違点として目立つのが反ユダヤ主義の有無といえそうですが、反ユダヤ思想そのものは、ナチスの誕生ずっと以前からあるわけで、戦後のアメリカ保守層が親ユダヤ的に見えるのは、国内のユダヤ勢力の拡大と地政学的理由によるところが大きいのではないか、と想像します。
こうした呪縛から解き放たれたオルト・ライトにはユダヤ人に対する忖度の必要などないので、西欧に古くからある反ユダヤ的思想が再び噴出したということかと思います。

少々話が脱線しましたが、ニートが自己実現の場としてネットを拠点としたのと同様に、オルト・ライトがネットを拠点として拡大していくことで、ペペの流用はまさに必然として起きた、ということだと思います。
既存の権威やメディアに対する嫌悪と排外主義、白人至上主義とナショナリズム、ニートのアイデンティティを揺さぶる要素としてのオルト・ライトの存在はニートの世界とシームレスに繋がっており、ドナルド・トランプの登場はこうした背景にうってつけの機会となったのでしょう。
トランプ自身はオルト・ライトが自身の支持層であることを嫌っていたようですが、それは反ユダヤ主義という決定的な両者のギャップのためだと考えれば、納得がいきます。
とはいえ、現実にトランプを支持した人々のど真ん中にオルト・ライトが居たことは世界の大半が認めるところではないでしょうか。

マットにとってペペのオルト・ライトのネットミーム化は非常に不本意なものとなったことは間違いありませんが、映画の中で認めているように、SNSで拡散され二次利用が拡大していただけの頃には、ある程度寛容な立場だったとのこと。
自らがマイスペースなどで作品を発表していたネット民であり、悪意のない二次利用に寛容であったことは充分に理解できます。
本人も言っているように、それがオルト・ライトに利用されていると知った後には既になす術は殆ど残されていなかった、というわけです。
日本でこうしたネットミームがネトウヨに利用されるケースは今のところ聞いたことはありませんが、今後キャッチーなキャラクターが登場し、利用される可能性はないとは言えないと感じます。

マットはペペを本来の姿に取り戻すべく、訴訟やキャンペーンを始めたわけですが、それが功を奏したといえるまでに至らないということは、一旦定着したイメージを覆すことは、その作者であっても不可能に近い、という現実の恐ろしさを端的に示しているといえるでしょう。

一方で、香港の雨傘運動のようにペペがそのキャラクターとしてアメリカとはまったく逆の利用のされ方もしていることが紹介されます。
香港の活動家らはアメリカでペペがオルト・ライトに利用されていたことを知らなかった、ということですが、それが認知されていたら、おそらく香港でペペが拡散されることはなかったと考えられます。
雨傘運動の後にやってきた香港の悲劇を考えると、香港人には最早ペペのことなどどうでも良い話なのではないかと思いますが・・・

ひとりのアーチストが生み出したキャラクターが悪夢のような禍のシンボルとして利用されてしまうという驚くべき事実、そこに潜むもっと根の深いオルト・ライトの拡大(この先も続く不可逆的な変化なのでは?と思わずにはいられない)など、実に多くの教訓と示唆を与えてくれるドキュメンタリーでしたが、冒頭記したようなアメリカのサブカル事情や受容の経緯を知らない我々日本人には少々皮膚感覚での理解が難しい部分もありました。

トランプ禍が一応去り、ペペがこの先マットが望むようなキャラクターとして復活できるのかどうか分かりませんが、ここで提起されたさまざまな問題は、今後も大いに注視していかなければならない、と思うのでした。
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