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Eggs 選ばれたい私たちのyuienのレビュー・感想・評価

Eggs 選ばれたい私たち(2018年製作の映画)
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女性という自己認識だとか、結婚だとか、子供を産むことだとか。同世代ではないが、彼女たちの悩みは、ちょうど自分が最近考えていたこととシンクロしていて、共感を覚えるところはたくさんあった。しかし、そうした悩みを、ただ俎上に載せただけで、それに対する切り込みはいま一つなまぬるい。

まず、女性二人の共同生活は物語の展開上大して機能していないし(互いに影響を与えて何か変化・成長するわけでもなく)、ふたりは根本的に繋がることなく、だからキーシーンのぶつかり合いも抱擁もあまり作用していないと感じた。

純子が生理を無駄だと呟くシーンで、ナプキンを下着に貼っていくのをしっかり見せて、そうした女性の「性」の部分を包み隠さずに描写して、いいなと思ったけど、そのあとにふたりで一緒に無駄だよねえ、って言い合う下りで、内容を重複させて諄いし、前の場面の切実さをぶち壊しているようで、それこそ無駄なシーンだと思った。

心底うんざりしたのは、終盤の純子が葵に母親と向き合えと啖呵を切るところ。親との関係性を他人がどうのこうの指図してくるのは本当に大嫌い。本作に至っては、葵と母親が向き合うプロセスを全く描かれていないから、余計に。おそらく描きたかったのは、親との確執ではなく、葵の同性愛に対する、自らの引け目だと思うけれど、事実問題としては表面的すぎて、単なる綺麗事でしかなく、虫唾が走る。

結婚にも子供を産むことにも興味はなく、でも女性として生まれたからには、何かを残したい、という感覚はわたしにはあまりわからなかった、というか、わかりたくなかったのかも知れない。それはつまるところ、子供を産むというのは女性の証だ、という考えにやはりどこか縛られていると思えるから。

特に、純子が放った「わたし、もったいない」という言葉が耳にこびりついて離れない。生物学上に子供を産める身体だからって、その働きを行使しないのは、果たしてもったいないことだろうか。
エッグドナーに限らず、子供を持つことそれ自体について再思させられた。子供はひとつの独立した個だ。自分自身の「女」という価値や役割を証明する為に、或いは、いつか訪れる虚無感を埋める為だけに、子供を持つという考えは、少なくともわたしは、そうであるべきではないと思っている。もっと確固たる向き合う覚悟がなければ、子供を欲しいとは思えない。なのに、その台詞に少しダメージを食らった自分もいた。

年齢に対する等身大な不安や焦燥感も、かなり突き刺さった。女性は生卵じゃないのに、恰も賞味期限があるような価値観に縛られている。三十路、アラサーは男性に対しては使わないのに、女性には年齢のタイムリミットを課せられて、若さに対する劣等感を否応なく押し付ける。

いつか母親に言われたことをふと思いだす。

「女は、若いうちは、何をしても愛嬌があるから許されるけど、歳を取ったら存在すら疎まれるから、特別な何かを身につけないと、淘汰されるのよ」

そんな呪縛に苛まれて、歳をとってゆくのはいやだ。30歳になろうが50歳になろうが、選ばれようが選ばれないが、結婚していなかろうが子供を産んでいなかろうが、わたしは胸を張っていたい。自分の価値を自分で決める、それくらいの強さは欲しい。
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