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彼とわたしの漂流日記のyuienのレビュー・感想・評価

彼とわたしの漂流日記(2009年製作の映画)
5.0
さまざまなソーシャルメディアが氾濫して、その気になれば、端末ひとつで、いつだってどこでだって誰かと即座に繋がってしまえる。

画面越しなら、嫌いな自分を都合よく誤魔化せるし、コピーアンドペーストで瞬時に理想な自分にもなれる。たとえそれが偽りの姿であっても、承認欲求に宥め賺されれば、かりそめの安心感と即席な自信を得られる。だから本当の「わたし」である必要なんてなくて、自己欺瞞な満足感さえあれば充分。

そもそも何かに期待をするということは、それに伴う失望を覚悟するのとほぼ同意義に思えるから、何も期待しないで生きていった方がよっぽど気楽のはずなのに。理解されてたまるかと思う一方で、誰かの関心やぬくもりを渇望してしまうなんて、殆ど理不尽だ。
自ら他者を遮断するくせにして、寂しがりな心がやたらと自己主張する。無防備な「生身」の自分を晒すのは勇気がいるけれど、本当は誰かが自分の武装したまま脱ぎ方すら忘れてしまった鎧を解除してくれるのを待っているのだと、きっと気づいてもいる。あゝ、なんて面倒くさい。

彼は漢江に浮かぶ孤島に漂流したように、彼女は自分の部屋でずっと難破している。
他者とのつながりはまるで海で、私たちは海にそれぞれ、ぷかぷかと浮かぶ孤島みたいだ。茫漠とした海水の中をどうやってすいすいと対岸まで泳いで行けるかなど見当もつかない。自分の小さな孤島にいれば、他者からは切り離され、空虚な内心さえ見て見ぬふりできたら、予想外の出来事に不必要なまでに狼狽えたり、傷ついたりすることはない。それでも、何かを期待して、不器用なフォームでどこかに向かって、あえて泳いでいこうとする。大海原に向かって漂っていくアヒルのボートの後ろ姿は頼りなげだけれど、同時に、妙に観るものに勇気を与える。

砂浜に大きく書かれた「Help」はやがて「Hello」に変わる。人を救えるのは、自分自身ではなく、やはり人なのかも知れない、と少し悔しいけれど、そう思った。
ジャージャー麺を食べて号泣する彼も、その彼を「撫でて」、Congratulationと小さく呟く彼女もとてもとても愛おしかった。

無関心でいびつなこの世界を、ふたり分のクレイジーさで笑い飛ばしていけたらいいな。
全ての不器用な「彼」と「彼女」に幸あれ。
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