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片袖の魚のyuienのレビュー・感想・評価

片袖の魚(2021年製作の映画)
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多様性が叫ばれる中、本作で取り扱うトランスジェンダーに限らず、あらゆるマイノリティに対してどういう態度で接することが正解なのか、しかし、最近ますますわからなくなってきた。

そもそも模範回答なんてないはずで。ジェンダーアイデンティティ、人種マイノリティ、セクシャルマイノリティ、の前に、言うまでもなく、それぞれひとりの人間としての性格、バックボーンがある。どういう風に向き合ってもらいたいのかだって、十人十色だろう。
だけど、近頃はどうもこの根本的な事実を疎かにして、恰も不正解を出す人間を片っ端から吊し上げて、そこに正義の剣を振りかざすのが目的になっているようで、言い知れぬ違和感を覚える。


「俺は差別しないから」

本作では、主人公は、はっきりとして差別されることは、実はない。しかし、目線、表情、言葉尻に隠された無意識の「差別」が作中に満ちている。
そういった他人から自分に向けられた機微な感情の数々は、個人的に非常に身に覚えのあるものばかりだった。

トランスジェンダーと人種を一緒くたにして語りたいわけではないのが、個としてのアイデンティティと社会からの態度の間に溝があるという点では、近いものを感じる。

わたしは、生まれも国籍も日本ではないが、幼い頃から日本で育ち、自分の中でのアイデンティティとしては日本人に近いのだが、未だに殆どの場合において、外国人として明確な境界線を引かれている。

名前を見ては「留学生?」
コミュニケーションの一環としての「日本のどこが好き?」
こちらとしては、日本語が第一言語なのに、「日本語上手ですねー、すごい。」

耳にタコができすぎて、いっそ剥がれそうになるくらい、投げかけられた言葉たち。
外国人だと知ると、不必要なまでに親切に接してくる方もいる。

差別というには、あまりにも悪意を感じられない。しかし、無関心、不理解、そして越えられない壁が、常に間に横たわっている。
ラベルを貼られて、おしまい。

この映画に出てくる、
不躾な視線で「もしかして、男?」と聞いてくる男性もきっと、悪意なんて微塵もないのだろう。
同窓会での、かつての同級生たちの軽薄な反応にしても。
あるのは、無責任な好奇の眼。

それらの視線を作中では丁寧につまみ出しているが、
ならば、どういう風に接するのが正解なのか。
気づいても少しも触れず、何も気づいていないように、本人のアイデンティティに合わせて接することが正しいのでしょうか。

アメリカでは、差別を無くすために、肌色について触れるのはタブーだという。まるでその事実を無視するかのように。いわゆるカラー・ブラインドだ。
しかし、それは、ひとりの個人としての性質や個性と向き合うことを、はなから放棄することにはならないのだろうか。
この映画の向いている方向の先には、カラー・ブラインドと類似したものがあるように思えてならない。作り手自身にはその意図がないとしても。

だれも傷つかない、自然なコミュニケーションのあり方について、いくら考えても分からなくて、堂々巡りばかりする。

そもそも本作において、どうしても主人公自身が周りをシャットアウトしているように見える。作中では、主人公が心ない言動に晒されるたびに、水中にいるような音が流れていたが、それは外部から張り巡られた境界以上に、わたしには、まるで彼女が自らを水槽の中に閉じ込めているように見えた。

そして彼女こそ、かつて好きだった男を、ひとりの人間としてではなく、恋人候補というラベルでしか見ていないじゃないか。だから、既婚者と知った途端に、相手は何の価値もなくなってしまった。それを肯定するかのような爽やかなラストが腑に落ちない。

トークショーでは、ちょうどデモ帰りだった監督が「Love has no gender」のパネルをお持ちになっていたが、この映画はそのテーマを盛り込もうとしているようで、掠りもしていないと思う。
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