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ハウス・オブ・グッチのAnima48のレビュー・感想・評価

ハウス・オブ・グッチ(2021年製作の映画)
3.8
ファミリービジネスは、経営者の人柄にもよるだろうけど、決断が早いし、長い目で見た投資もできるし、責任感も強いっていう長所もある。ただ今回はうまくいかなかったようだ。

活発で野心的なパトリツィアと控えめで上品なマウリツィオ。出会った時点でもうグッチの名前がパトリツィアの頭に刻まれたようだけれど、そんなに咎められることでもないだろう。医者や弁護士と出会うためにパーティに通う人はたくさんいるし。ただ出会いから交際まで、待ち伏せたり、尾行したりとパトリツィアの恋愛スタイルは強引で猟奇的なハンターのそれで少し観ている僕は少し怖気ついてしまう。それでも二人は一緒になり、そこには確かに愛はあったと思う。オフィスで愛し合う二人、特にパトリシアの激情にただ驚く。だけど愛情や衝動がエネルギッシュ過ぎたのかもしれない、彼女はマウリッイオに安らぎを与えることはできない。恋愛を前に進めるのは、相手への自分の愛情を確信して自信をもってアプローチすることだけど、恋愛を維持するためには、相手への自分の愛情をコントロールして、相手の心境を察することが必要なのかもしれない。後半のマウリツィオに冷たくされても、相当な執着・強迫観念も感じさせるアプローチを続ける様子を観ているとそう思う。

思えば“思い込みの強さ”がパトリツィアの運命を決めてしまったんだろう。占い師ピーナから必ず幸福をつかむと宣託され、パトリツィアの中でそれがグッチと深く結びついてしまう。彼女と出会った当初グッチの名前に無関心で当時のグッチのブランド価値にも気づいていたマウリツィオのグッチへの想いよりも彼女の想いは深かったようだ。だけど彼女はグッチ家の新しい血にはなれなかった、ひょっとしたらパトリシアはグッチの資産を望む以上にファミリーの一員として認められたかったのかもしれない、コピー商品の排斥などグッチブランドを守るためにいちばん熱心な彼女が部外者になる様子は哀れだし、周囲もマウリツィオをファミリービジネスに招くための道具としてパトリツィアを利用していたようにも見える。ゲレンデでのマウリッイオの友人達とのやりとりでマウリッイオからも自分が居るべき場所にはそぐわないと見なされ冷たく扱われていく。その欲求不満や捻じれがパトリツィアの中のアグレッシブさ、野心、他人をコントロールする欲求を愛情に勝るほどにしてしまう。愛情とコントロールがとりちがえてしまったようにも見えるし、男性社会の中の女性の孤独も感じた。あのエントランスでマウリッイオにグッチへの執着を指摘されてしまい、その行きつく先でああいった手段に出てしまった時には正常な判断ができないように見えた。なので、仕事を依頼するときは同一人物と思えないほど不始末で笑ってしまうし、服装もそれまでの彼女とまるきり違っていた。

自転車から始まり、次にベスパ、最後はフェラーリやカウンタックまで高級車達を乗り継いでいくマウリッッイオ。グッチを手放した後、また最初の自転車に乗ってカフェに行く。グッチブランドも手放し、最初のただの上流階級の男に戻っている。グッチ家の名誉も富も捨ててパトリツィアと結ばれたのに、彼女の手でグッチ家に戻り、一族を裏切り名誉と富を独占し、それを守る為にパトリツィアから離れ、新たな愛の為にパトリツィアを捨て、グッチを再生させる為に却ってグッチも手放してしまう。そして彼女の手により終わりを迎える。マウリッイオのパトリツィアとグッチの名前と富に翻弄された人生は皮肉を感じた。カフェのテラスで彼はそんな人生を微笑っていたのかもしれない。

一族は継承を、周囲は永続を望んだ。そんな感触がある。マウリツィオはビジネスを受け継ぐ決意をするが、経営経験がない。パウロはデザイナーになりたいが、センスが欠如していると父に指摘される。パトリツィアはグッチを手中にしたいが、ファミリーではない。関係者の思い込みが本来の当事者の熱量を上回るのは危険、当事者のスキルが熱量を受け止められないのは不幸なのかもしれない。グッチブランドはトムフォードが再生させ、ビジネスはドメニコやネミールに引き継がれる。自分の力の限界を知る事、人に任せる事は大切だなと思う。夫婦と親子の2本の関係の破綻、みんなの想いが見事にすれ違いグッチ家の行く末が見えない様はまるでマフィア物の映画やシェークスピア劇のようにもコメディのようにも見える。

画面に映る情報量は多く、密度は濃い。雨の日のニューヨークのテラス、パトリツィアの権力が強くなるたびに存在感が強くなるアクセサリー、そして衣装。特にスキー場の白景のなかでパワフルに映える赤は彼女のパワフルさ、周囲との調和を意識しない、なりふり構わなさを教えてくれる。そして白い衣装で揃えたマウリツィオ・パオラのカップルとの間に言葉よりも雄弁に線が引かれていた。パオロの服はいつも風変りで、画面い映るたびに彼の境遇の変化を語り、マウリツィオの服は、セーターから始まり、ダブルのスーツ等に変わっていき、控えめだった彼の地位・態度が変わっていくのを見せてくれた。そして音楽が当時のヒット曲とオペラがふんだんに入り、時代性とイタリアという地域・文化を常に意識させてくれた。

話を追うのも楽しいけれど、ガガとアダムドライバーの演じる様子がやはり印象的。愛から始まり権力、富を求めていくために必要なエネルギーや妖艶さ、ハングリーさを備えたガガは説得力があったし、置かれた状況でどんどん変わっていく人柄や態度を繊細に表現できるアダムも素敵だ。

上流階級の会議室で何が行われているか垣間見ることができたし、舞い上がると危険だよって教えてくれる映画だった。

..イタリアって自転車が良く似合うなあ。
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