「細田守」という巨大で繊細で危険な作家性
日本を代表するアニメーション監督として確固たる地位を築いている細田守監督だが、同時に作品に対する評価は二分されている。
特に『未来のミライ』は圧倒的に批判的な文脈で語られることが多く(個人的には傑作だと思っている)、最新作の『竜とそばかすの姫』もこれまた賛否が分かれそう、というよりそれを意識して作っているようにも思える。
仮想と現実、喪失と再生、そして生と死、『時をかける少女』以降の歴代作品のテーマを反復しつつも、今作は史上最大級に監督の自我そのものが画面からぶつかってくるように思えた。
巨大なインターネット空間をうずまく有象無象の批判や賞賛、それらと対峙するわけでもおもねるわけでもない。そこにあるのは「周りがどう思うと好きなものを作る」という最大公約数的な作りから解放された細田監督の力強い意思にも思えた。
過去最強クラスのスタッフによる圧倒的高密度な画面と、音楽の力は、クライマックスにむかって収斂されていく。
扱うテーマのセンシティブさが考慮されていないのは、ある意味でとても危険だと思うが、そうした疑問を全てクライマックスで吹き飛ばしてしまうのが細田監督らしい。