新潟の映画野郎らりほう

竜とそばかすの姫の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

竜とそばかすの姫(2021年製作の映画)
4.4
【川面に映るもう一つの世界】


初登場場面から主人公少女:すずは ベッドから転落し、その後も重い足取りで歩み、蹌踉めき、躓き、吐瀉嘔吐し、横臥し苦悶するー。

講話/ストーリーに過依存せず、それら所作行動=身体性に依って彼女の心象/概況を伝える ー 極めて映画的だ。


彼女の居宅が 坂道を登った高所高台にあるのも「外界から隔絶し浮世離れ / 地に足が着いていない / 現実に向き合っていない」事の顕れであり、少女のその苦しみの深さを痛切に想う。


幅広い河川の畔を漫ろ歩くすず。
対岸上の街並みが川面に“鏡の様”に映り込み、もう一つの世界の存在を黙示する(ここではそれを一旦仮想空間としておく)。

通話アプリで ルカちゃんの相談に応えている時も河川の畔である。
川面には 街並みが“逆さま”に映っており この時のすず自身の気持ちが あべこべ/裏腹である事を示していて切ない。


度々挿し込まれる“母と川”のイメージを 額面通り“回想”としてしまうのはミスリードだろう。
前述の“すずの苦悩が映り込んだ川”を鑑みれば『三途の川に消え逝った母を追い 自らも足を踏み入れかけた』生死境界線上を彷徨うすずの儚い心象こそを感取すべきである。


となると、仄めかされていた 川面に映るもう一つの世界とは ―そして本作最主題とは― 仮想空間なぞではなく すずが囚われ続ける冥府世界である事を悟る―。




ずぶ濡れ、躓き、倒れ、傷付くも、振り返り、力強く屹立し、刮眼する少女すず―。
終局に於ける 成長を顕現する身体性は最早常套手段であるが、その奇を 衒わぬ愚直とも言える表現が、彼女の強く真っ直ぐな心と重なり 素直に胸衝かれた。


そんな少女を肯定する様に ―見守る様に― 夏の青空に立ち上る真っ白な雲が、掛け替え無きひと夏の尊さを宣明するのも細田守のしるしである。




終幕。
力強く歩む彼女の後景の川面には、雲間から射す陽光が燦然と輝いており、逆さまの街/もう一つの世界〈死〉は もう映る事は無い。





【あなたは誰?】

〈追考察〉
ずぶ濡れ、躓き、倒れ、傷付くも、振り返り、力強く屹立し、刮眼する少女すず―。
上記は終局に於ける少女の成長を顕現した場面であるが、その時のロケーションが 高所高台へと連なる坂道上であり、彼女の居宅周辺ロケーションと equal と成っている事に気付く。

更に、single father(独父=毒父)とゆう境遇も 明確に意図された対称因子であろう。

川面に鏡映する“別世界”や、自身の“別人格的側面”を持つネット上のアバターの存在―。

解離性同一性障害をモチーフとしたダニエルキイス『24人のビリーミリガン』に依れば、 psychological trauma の痛みを一身に背負う“幼児退行性人格”や、アドレナリンコントロール能力を有し“格闘に秀でた人格”の存在が記されていた。

本作が多重人格の統合をメタファーとしている事は間違いないだろう。

『あなたは誰?』― 他者に想いを馳せ 理解する事は、今まで気付かなかった ―目を反らしてきた― 自分自身を識る事なのだから―。




《劇場観賞》