新潟の映画野郎らりほう

うみべの女の子の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

うみべの女の子(2021年製作の映画)
1.8
【詩性無き死性】


海辺とは海岸線であり、陸と海を分け隔てる境界線である。
その境界線は 無論モチーフであるから、生と死の境界線(彼岸と此岸)が容易に思い浮かぶ。

砂浜にある 漂泊し色褪せ朽ちた無数の残滓等も 絶念の象徴だろうし、写真は 既に喪われた過去のもの の諷示である。

浜辺に立つ片影、写真の中の偶像 ― 何れも非実体であり 非現実=死への囚われを感取する。


肉体と肉体の濃厚且つ直截的接触(セックス)に依って 喚起されるのは無論〈性=生〉に他ならない。

以上を鑑みれば 少女(石川瑠華)は、死に堕ちようとする男を この世の際で 自らの肉体〈性〉を用い〈生〉へと換言せんとする。
彼女が 浜辺で残滓探しをするのも、偶像映した写真に嫌悪示すのも その証左である。

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やらんとする事は解るが 図式的に過ぎる。
おそらく映画の独自演出ではなく 原作既出因子をそのまま準拠模写しただけであり、それ故 各ショットが強度を欠いた 想いの乗らぬ腑抜けたもの〈図式的〉と感じるのだ。

台風の風雨(これも図式的だ)なんかより、距離化 / 高低差 / 配光 / そして何より 人物の視線の動きに 監督の意図/想いを乗せてゆくべきであり、これでは単なる絵解きだろう。


死性には詩性が必要である。




《劇場観賞》