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べイビーわるきゅーれのkoyamaxのレビュー・感想・評価

べイビーわるきゅーれ(2021年製作の映画)
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「舐めてかかったらとんでもない。」と思わせる映画。

今更感ある鑑賞ですが。

駄話と過激な暴力アクション。
タラさんの派生的展開なんですけども

主人公二人を全然すごいと思わせない。
舐められた生活。人生。からの、、、

ゆるトークが興味深い。
平場自体を見せ所としている。と言うところがオシャレです。

終わりなく二人をいつまでも観ていたい。
それなら起承転結すらなくてもいいんじゃないかと思いましたね。
(実際、ないならないで困るかもしれませんが)キャラのやり取り自体尊い。
その関係性自体を楽しむ。楽しめる。
というのがとてもyoutube感というかSNS感というか「今」感ありますね。(何が今かわかりませんけど。じぶん調べ。当者比で。)

忖度なしで言うと、ラストバトルもなくていいと思ったんですよね。
アクションなくても成立するかもと思いました。(いい意味で!)
身も蓋もないですが。すみません。でも、実際はあるんだからなんて贅沢!

そして、
全ての展開が怒涛の
意外!意外!意外!の全部が意外の連続ラッシュで唸らされました。

意外性も、すごい一波乱があると展開の想像を促しながら、
想像の上をいく。ではなく、そこを外す。
あえて一番低い脱力からの!と言うのが、心にくい巧みな演出。

「コミュ障、高校卒業したて→でも殺し屋」
巡り巡って唯一社会に貢献できるのが反社会的な行為の極みというギャップ。
このあたりはある意味妥当ですが、

周りの登場人物も意外な処遇がいっぱいです。

意外性があるのに、悩みが普遍的と言うのが、共感できるし、
逆に唯一できることが、超人的なところ。と言うのもまた違う方向で心掴まれますね。

まあ映画でもやりたがらないニッチでダークな仕事だったら全く意味がないですよ。
「殺し屋」はある意味映画の花形ですからね。

社会不適合者の俺みたいな私みたいなあんまり先のこと考えてないのになんとかなってるじゃん。
ってそんなとこに一滴のファンタジーを仕込むところも罪づくりですね。

映画における正しいフィクションの使い方と共感性を持ち込むバランスが超絶妙で手玉に取られました笑
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