フラハティ

裁かるゝジャンヌのフラハティのレビュー・感想・評価

裁かるゝジャンヌ(1928年製作の映画)
4.3
数々の映画監督を魅了し、今なお高い人気を誇るカール・テオドア・ドライヤーのおそらく最も有名な作品。


数々の映画で題材とされてきたジャンヌ・ダルク。
本作は、歴史に残された“ジャンヌ・ダルク裁判”の資料を元に映像化。
わずか19歳という若さで、フランスを率いたジャンヌ・ダルク。
神の子と呼ばれたジャンヌ。
聖女と呼ばれたジャンヌ。
百年戦争の救世主と呼ばれたジャンヌ。
裁判記録に残された“本物の”ジャンヌ・ダルクは一体どんな存在であったのだろうか。

彼女が最後に語った言葉の数々。
裁判の中で、百戦錬磨の強い女性像というイメージからは程遠く、ただのか弱い女性にしか見ることができない。

捕らえたイギリスは、ジャンヌを裁判にかける。
彼女は魔女である。
敵国の英雄であるジャンヌをどうしても処罰したい。
審問官たちは是が非でも裁きたい。
こいつらは悪魔の差し金だ。

かなりの時間が費やされた裁判だが、本作では一日の出来事としてまとめられている。
如何にして彼女は裁かれ、傷つけられたのか。


全身を撮すことはなく、ほぼ顔のアップ。
そのため、観客はまさに陪審員として裁判を見ているようで、強烈な印象が残る。
ジャンヌが嘆き、泣き、叫ぶ。
不安そうな視線は終始泳ぎ続け、彼女はただ農民の娘であるということを理解させる。
観客は誰しも彼女に手を伸ばしたくなる。
それほど真に迫った演技なんだろうし、審問官が憎たらしいので際立つ。
まさにジャンヌからすれば悪魔の手先。

信仰についての会話が多いけれど、そんなものはどうでもよくて、当時たった19歳の少女が火炙りにされたのだ。
宗教というものが人を通すことで、人の存在を悪に変えることにもなる。
人が人を裁くことの無意味さ。
平等に裁くことができない人間という存在。
ジャンヌダルク裁判を通して、信仰及び人間そのものについて触れられている作品。
本作は聖女としてのジャンヌではなく、人間としてのジャンヌを描いた。
しかしこの描きに否定的な意見を持ったのはブレッソン。
彼は後に、同様のジャンヌ・ダルク裁判の記録をもとに『ジャンヌ・ダルク裁判』を発表するが、これは未見。
機会があれば観てみたいもの。


燃え上がる火の下。
怒り狂う民衆は、聖女のために戦う。
空を舞う鳩は平和を象徴する。
信仰は平和へと導くのか。
犠牲となったジャンヌの思いは何処に…。
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