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ガリーのotomisanのレビュー・感想・評価

ガリー(2019年製作の映画)
3.7
 寿命の短さを競うような荒っぽい日々も刑務所送りで断ち切れる。しかし、その先、更生の難しさに音を上げて元の暮らしに戻るのか、3人組の兄貴分グレッグのように孤軍奮闘を忍ぶのか。
 フーテン3人組のニッキーはカノジョ、ケーシャに子を身籠らせたというのに兄貴分にならって刑務所へ。天才肌のカルビンはどこからどこまでが精神疾患なのか分からぬ気に暴走するが、正気に返ったようにニッキーの子の後見を引き受けたその直後、買った恨みで殺される。残されたジェシーは児童虐待のトラウマか言葉も発せぬ泣き寝入り。ワルくて暗い世界に今やただひとりプラス諦めないグレッグとただ二人、でもそれが互いの助けになるんだろうか?
 むしろジェシーにとっての問題は誰かの助け以上に、ぺしゃんこな自分にどう向き合うかにあるのかもしれない。ニッキーの下獄とともに、死の間近なカルビンが正気を取り戻すに至る切っ掛けのもう一方が、ジェシーのトラウマの源「飼い主」Mr.チャーリー退治だ。下獄もそうだが、ジェシーが飼われた始めからその結末まで誰も彼も極悪そのもの。しかし結果迎えた危機が、切り抜けろと覚醒を促したかのようでもある。夢と現の区別を認めた中でカルビンがジェシーに見送られ遂に死ぬ事はかえって美しいようでもある。そして、そのカルビンが命と引き換えるように重しを除いてくれたジェシーの心をこれからジェシー自身が、いわば魔術的に治癒してゆくのだ。

 陽の傾く海に向かってひとりやっと叫び声を振り絞る。この言葉にならない叫びも希望のかけらであるか否か。過去の悪夢に挑むためどんな人生の物語の捏造を図るのか。しかし、そうやってでも不確かな記憶の中の母親と洗濯場の見張氏と吟遊詩人をまず人間に昇格させて、ジェシーは力技で自分の心の生きる余地を自力で広げてゆかねばならない。
 こんな悪の応酬で彩られた彼ら3人組だが、その小さな世界で人間と認められたのは、自分ら3人+グレッグほか僅かで、その他、吟遊詩人のような無害な傍観者が数体という感じ。それ以外、その世界は害獣だらけ、無頼不信の荒野である。
 ムショ暮らしを通じて、世間と、自身にとっても無益なギャングに過ぎなかった自分とを認識したアニキは、この世も実は立派にヒトだらけ、彼らを相手に堅気に暮らすのが今は理想であっても、ジェシーとの明日にとってその認識はまだ役に立つのだろうか。それどころか海から帰りの夜道さえ、幾度死線突破して日常に戻ってゆく事だろう。

 叫びと共にジェシーの過去が終わるこの日だが、明日が開ける気がちっともしない。それでもジェシーのこころの内で吟遊詩人の曰く、"LIFE"の"L"はいのち、"E"は永遠、中心の"IF"は「もしも自分を見つめたら」であるという。見つめて何かを選んで行けば願いはかなうのだそうだ。
 確かな相棒2人を失くして、見つめる相手は自分だけの今、自分の中には見つめるべき何があるだろう。そして何を願うんだろう。ジェシーにそれらが確と知れているだろうか?それとも、寿命の短さを競うのではない新しい生き方の中でそれらを求めていけるんだろうか。
 進んで好きともいえないが、ここに至っても共感できないと悪評するのもどうだろう。イーストサイドではごく普通?な彼らの様子がいずれ、ところに拠らず普通になるのか、どこでももっと悪くなるのか。この映画に嫌悪しか湧かなくとも、これが生きた世界との地続きと、切実な思いで受け止めるならば、これも結果的マイナスではなく予察的プラスとしてスコアを呉れようかと思い直しもできるかもしれない。そんな力がある辺り、このワルい世界の話でもよさの欠片が見えるに違いない。
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