モクゾー

最後の決闘裁判のモクゾーのネタバレレビュー・内容・結末

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

●事実と真実の相違、人の主観により正当性が食い違うという話


リドリースコットがいいペースで映画を作ってくれるのでありがたい…今回は13世紀フランスの決闘をテーマにした裁判物語。

事前情報で、黒澤明の羅生門…つまり芥川龍之介の、藪の中型のプロットだと聞いていたが、観てみるとそうではないと感じた。

藪の中において、不明にされるのは事実。実際に何が起きたか…がわからないという作品であるが、本作において事実は明確化されており、不明になるのはそれに至る経緯と関わる人にとっての事象の意義…つまり真実であった。

なので、本当は何が起きたのか?
何が事実なのか?という、謎解き型のミステリーを期待して行ってしまうと、おんなじ話を別の人の語り口で聞かされているだけでつまらん、と思うのではなかろうか。

構造は決闘する二人とその中心にいる女性の3人がそれぞれ同じ事件を語るかたちで、描かれる。
それぞれの主張や見え方には少しずつずれがあり、それを名優たちが絶妙な演技で見せていく…面白い映画だった。

各人の、語る物語において1番の違いは、物語の主導権を自分が持っているように語ることである。みな、自分が人生の主人公であるのだからそれは当たり前だが、こうやって人の主張は食い違っていくのだな…という人間の本質が垣間見える。

あるキスのシーンや、告白をするシーン。同じシーンなのにセリフや言い方が絶妙に変わっておりそこもまた、面白い。

そして、物語の終盤、人間達の主張を全て飲み込むように、今では考えられないような理不尽で暴力的なシステム(社会構造)が全員を飲み込んでいく。13世紀の物語を締め括るのにふさわしいクラシカルな終末だと感じた。
(隠すオチでもない、決闘による決着である)

最後、真実はまさに藪の中に置き去られ、それでも自らに正当性があると結果を得たように感じているジャン。
そして真実の追求は蔑ろにされ、ただ世界に身を任せるしかないマルグリート…
真実は事実という仮面をかぶったまま終わる。

社会的なシステムは個人の理解や思いなどを全て飲み込んでしまうほど理不尽であるという、リドリースコットが得意な物語りであった。


最後に語られるマルグリートの物語が、この作品においては真実であるように扱われていることに、少し違和感を覚えたが、騎士道の誇りに目が眩み、自分を正当化したがる血の気の多い男よりも、女性的な観点からの方がこういった話は実際冷静に見られているのかもしれない。

マット・デイモンもアダムドライバーも、他キャストもみんな隙がなく良いのだが、特に、ベン・アフレック。信用に足りない優男演技は抜群笑
ゴーンガールで何か掴んだか、とてもよいバイプレーヤーであった。