新潟の映画野郎らりほう

最後の決闘裁判の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
4.0
【真実の複数形】


真実なぞどうでもいい。

抑 エピローグ映像や 字幕で語られる後日談が 最も嘘臭く、そんなものが真実であるなぞ端から思ってはいない。

三人の主張は『三人各々にとってのみ真実』なのであり、それを世間が -そして映画を観る私が- どう思い どう感じるのか、それが総てである。
つまり真実とは 世論であり時流である。

太平洋戦争の真実が 戦中と戦後(の時流)で異なる様に、真実は常に流動的且つ相対的、そして複数形だ。


この映画は 男を身勝手極まりないものとし 明らかに MeToo 時流に目配せしている。
その時流に 盲目/無批判的と為っていやしないか。
男の潮流の時は男に、女の時流の時は女に。
勝ち馬に乗る ― 其を真実と履き違える/思い込む。其処に危険性は無いのか。

最終極―、当人達の思惑を越え 熱狂し暴走する衆愚の妄動に、今回の皇室子女結婚騒動に於ける移り気且つ無責任な民意も透け見える。

真実は 見る者一人〃の瞳の中にしかない―。
其を尚も第三者が 独断すれば、其処には血の代償が求められるだろう ―今も昔も― 。



〈追記〉
「プロメテウス」「悪の法則」然り、リスコットの映画では登場人物は皆愚劣であり 只々右往左往し無為徒労の挙げ句無惨に果てる-露悪な迄に。
イーストウッドであれば ワンラインで真実の複数形/多角性を呈示したであろうが、三本もエピソードを連ねねば為らぬところが彼らしい。




《劇場観賞》