ーcoyolyー

最後の決闘裁判のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
3.7
まずマット・デイモンの人相が悪い。ヤバすぎて何の先入観もなく見たらこいつ悪役だな、と即断しちゃうほどにヤバすぎてヤバい。役ではなくて本人の内面がこうやって露出してしまうの神木隆之介もだけど私生活でどうか救われて欲しいなと思う。マット・デイモンの人相はヤバいけどマット・デイモンと宮﨑あおいが悪役を演じるわけがない、人々の同情を誘うような哀れな汚れ役まではできても悪役はやらないことで逆に底意地の悪さが照射されている宮﨑あおいと同じ人種なのでこの人こんなに人相悪いけど悪役ではないんだろうなと判断せざるを得ない。なので相対的にアダム・ドライバーいい人なんだろうなー、とも浮き上がってくる。こんな役を引き受けられる人なんて余程の善人か悪人かのどちらかですよ。マット・デイモンみたいな小悪人が一番遠い役。アダム・ドライバー、マット・デイモンの人相の悪さに思わず怯む瞬間とかそのまま映像で使われてるので役者としてどうかはさておき普段は結構な善人なんだろうなと思う。『沈黙サイレンス』撮影時、窪塚洋介に怯えていたというエピソードと地続きの表情なんだろう。

リドリー・スコットが定期的に歴史大作でクロサワやらないとならない病気に罹患しているのは周知の事実だと思うのでそれはまあそれとして、でも今回いつもに比べるとクロサワ色薄めなのよ。何がいつもと違うんだろう?と気にして観てたら中盤で分かった。この人今回キリスト教の聖職者による性加害についての怒りがクロサワ病より強く出ている。勿論クロサワ病もあるんだけどそっちより強い動機があった。この題材取り扱うなら何故現代劇ではなく歴史大作にしてしまったんだろう?とも思うんだけどそこはリドリー・スコット。自分が現代劇でこういうものを撮るより歴史大作で訴えた方が商業的価値が遥かに高いことを知っているからだ。リドリー・スコットの歴史大作というだけで映画館に足を運ぶ層がそれなりにいることを知っているからだ。自分の価値を冷徹に正確に把握している。こういうところ嫌いじゃない。

こんな映画観たら男の人は男であることが嫌にならないのかな?とも思うんだけど、主題から上手くというか小狡くというかとにかく目を逸らして全くそうならないしダメージも受けないんだよね知ってる。私、ピナ・バウシュの舞台を観に行った時にこれだけ真正面から男性を断罪している作品を見終わった後、客席にいる殿方たちは立ち上がれるのだろうか?と少し心配して周りを見渡したんだけど、その断罪されていた人々はまるでどうでもいいような作品内の枝葉末節に対して和やかに談笑していて、あれだけはっきりときっぱりと断罪しているのにその声までもこんなに無視されてしまうのか……!?と絶望したのでこの作品でも同じことが起きてるんだろうなと思う。

ただ、これを撮ったリドリー・スコットが男性であること、そしてそういう反応になるのも織り込み済みであろう冷徹な目の持ち主であること、その冷徹さによって自らの属する集団の尋常ならざる加害性とそのことに対する無頓着さをそのまま描けたことはちょっとした救い、ちょっとした光でもあります。リドリー・スコットが冷静に判断して男クソ!と描き切ったってことは世の中の凡庸な男どもがどれだけがなり立ててもそういうことなんだということです。

この時代の女性たちがどうしてあれだけ妊娠にこだわるかというと、子供を産めない女は卵を産めない鶏と同じ扱い、子供を産む機械として故障しているなら処分されてしまうからで、その怯えにしっかりと気付いて描写してきたところからもこの人信頼できるなと思いました。三者三様それぞれの視点で全員が自分だけがちょっといい感じに見えているという自己認識盛り込めてるのも上手かった。自分アゲ他人サゲって人間がナチュラルにやっている行為なんだろうけどこうやって冷徹にその主観の行為を描くことはなかなかできない。
ーcoyolyー

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