おとなはある程度、諦めや慰めの先に落ち着いたところまでこころを持っていけると知っている。
1年後やそのもっと先には、今と同じではないことを経験的に知っている。
だからみっともなくジタバタしたり、怒りや哀しみを誰かにぶつけたりすることも容易ではないし、自分のなかにある感情すらなかったことにしようとする。
不条理な出来事、永遠に無くなってしまったもの。
その描写そのものを見せなくても、もうそこには無い。いつまでもどうしようもなくまとわりつく〚喪失〛を感じさせられ、泣きながら観てしまいました。
アラフォー過ぎるとね…
得るよりも失くすほうが多くなるからもう耐えられませんね。
結局、毎日毎日繰り返されるルーティンワークや、おなじひと達との会話にどれほど救われているのか。
きょうはどう?
うん、まぁまぁだね。
そんなやり取りの優しさとありがたみがじんわりくる映画でした。
会話劇ではない日常劇、のような。
薬に携わる仕事をしていて今年中医学の資格をとった身としては、こころの失調がどれだけ身体に影響を与えるのか、心身のバランスへの医療のアプローチにも興味があって。
ラリー・ファイン先生(ケヴィン・クライン)の心理療法のアプローチは東洋医学にも通ずるところがあり…
傾聴しかできないのですよね…いかに名医と言われようと。
話を聴くということを、我々素人は軽く見すぎている。テクニックも必要だけれど、〚聴く〛ことは人柄、才能。続けていくのは本当にたいへんなこと。
医療は人。まさにそう思わせられました。
すばらしい映画をありがとうございます
メルフィ監督。