むらみさ

プロミシング・ヤング・ウーマンのむらみさのレビュー・感想・評価

3.6
女性の 性的同意 の意思表示とはどこからなのか、本気で考える。
この映画、ニーナを被害者とだけ描いているのか…?

なんだかんだでオトコの添えものになっていった方がなにかと便利、
という人生の選びかた。
物欲、ステイタス共に、どのくらいの収入でどんな生活スタイルが好みかのオトコを選ぶだけで手に入る。自分でキャリアを積み上げずにそこまでできるなんて、お手軽でまさに一挙両得!
男性優位社会に抗わずに生きる方が楽に生きられる…
女性にもそういうタイプがいるわけで。

生きかたを選べなかった【ニーナ】という、性被害者だけを描いた映画というだけでなく、オトコに乗っかっていっちゃう女にも痛い映画になってますね~

キャシーを通した【ニーナ】は記号的に被害者としてしか描かれないし、起こったことが揉み消された以上は被害者以外の何者でもないけれど、少なくともアルに近づいたニーナは自発的に彼を選んだ女性であったことはわかる。
ただアルの大学での目立ちぶりが(そして男性社会の評価指標が)彼女本来の個性を呑み込み、添えものになっていったのだろうな…とはわかる。

だから現在のアルに加害者意識もないし、俺のステイタスを利用させてやってただろ
くらいの認識しかないカスが出来あがる という印象。


女性にはそういう、社会にある不条理を逆手にとって'旨味'に変える賢さもあるのに、不条理にのまれて抗えなくなった時に理論的に闘えない'メンタル不均衡の生き物'と処理されてしまうことが日常的に横行しているので、
そのどちらの面も考えたらどこに怒りをぶつけたら良いのか…
夜な夜なお持ち帰りさせて鬱憤を晴らすっていう奇行でバランスを保つしかなかったのかなとも思う。
キャシーは衝動的に危険に身を投じるほど浅はかな女性とは思えない。

ニーナの事件に関わった人間には復讐心にまみれた厳しい制裁をするかと思いきや、当事者の気持ちをわからせるやり方で留めたり、時には慈悲も見せたり。。
全編'怒り'に満ちている映画といえど、キャシーは熟考して次の一手を打つ行動をしている。
ただそれが、社会不適合者の行動として周りがしめしを合わせれば、社会的に適当な地位のない妙齢女性の不安定な行動として処理されてしまうだけ。


信じるに値するひととして、後悔の念で眠れず生き続けるジョーダンに最期を託したキャシーには共感する。
もう此の世には信じられる人間が居ない、となったらやることはただひとつ!!
みたいな潔さが、彼女のなかに生まれた結果としてのラストならば、観賞者として未練はない。
むらみさ

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