アムロはとくにだけど、ドアン以外のキャラクターがもはやドアンの引き立て役に徹していた感。
そのドアンもやりたいことは平和主義で、ほとんど誰ともコンフリクトがないので、すごくさらっとしてる。
アムロも立場上ガンダムは探すものの、ドアンに対して積極的に異を唱えるような主張でもなく。
最終的にマクベも文化を愛する者だし、思想対立もなく、すごく平和なミクロの一場面。
大きなストーリー上に引っ掛かりもなく、思いやり大事くらいしか教訓もなく、キャラクターも動かない。
サザンクロス隊のヒャッハー野郎は予想通りの噛ませ犬だったし、女性隊員はドアンのことを思っていそうだったけど特になし。
因縁がありそうな現隊長は、比較的描かれてはいたものの特になし。
カーラとアムロ、ドアン、マルサスとアムロ等、関係性はあるもののさらっと。
特にアムロはほとんど主体性が無い。
「戦争の匂い」としてのドアンザクは、一方的な武力放棄が平和をもたらす可能性について考えさせられる。
戦後平和主義的な、とにかく「戦争は良くない」と言い、方法論としては「戦争っぽいものを遠ざける」。
それが実際には、戦争回避とどこまで関係があるのかわからない、というのが正直なところで、逆に戦争を引き寄せている気もする。
近年では、「実際に戦争に行った人」がいなくなり、「戦争を経験した人」が語る体験談の比率が高まっていることも、そういう論調をより強めている感はある。
「実際に戦争に行った人」は戦後の盲目的な平和への手のひら返しには心の底では乗れない。
戦後生まれの安彦良和らしい平和観。
マクドナーの『セブンサイコパス』で語られている様な一方的な武力放棄、ガンジーマインドは、その方法を選ぶ主体に「諦め」と「ハッタリ」みたいな心構えがないと意味が無いと思う。
”一方的に武力を放棄する” ということは、「自分が死んでも相手の戦意を少しでも減らして憎しみを止める」という利他的な行為だということ。
自分が死にたくないからやることではないので、主体の「死にたくない」が動機になっている判断なのだとしたら、実際には逆効果だとわかり、「死にたくない」から「武力を持とう」という方向にコロッと変わると思う。