淡色の海辺に心が凪ぐ。田舎のどんづまり感があって息苦しい。マケーニュのナード的な哀愁にもキュンキュンするが、友達母娘の複雑な愛憎関係、とくに娘の心理描写が出色。母の軽薄さに対する反感で、母に振りまわさ>>続きを読む
女っ気なしの孤独な男と、女の疎ましさから孤独な旅路に逃避した男の対照性。恋人への愛情と倦厭の隘路として現出する寒々しい田舎町。音の耳ざわりなうるささが摩擦や軋轢を強調しているようで不穏。元カノの子ども>>続きを読む
第1部 のちに「宝島」として再発見されるロケーションが、「騎士とフェンシング」「オレンジTシャツの女と柔道」という奇妙なできごとにあたえる説得力。仲たがいした女たちが、それぞれにフィクショナルな体験を>>続きを読む
岩と緑、夏と冬、山と海、過去と現在。あらゆるコントラストが効いている。とりわけ、ペダルの重さが伝わってくるような登坂と、手ぶれにハラハラする下りの対照的な臨場感がエキサイティング。サイクリストが厳かに>>続きを読む
タイトルとエピグラフと構成によって、ありふれた行楽がアバンチュールとして再解釈されるマジカル。カラフルな水着が華やぐ色彩の豊かさを枕に、多様な人物の去来を紡いでいく。ワイズマンの『セントラル・パーク』>>続きを読む
真冬でも半ズボンの制服にわりと強火なショタ美学を感じた。デブの体操着が半袖短パンなのも圧倒的に正しい。渡り廊下を歩いていく子どもたちの下半身を切りとったショットや、雪×鶏×天使のコンボ(『true t>>続きを読む
趣向を凝らしたサイレント的なアクションの連鎖と、街の景観や手持ちカメラに見られるヌーヴェルヴァーグ以降な感性が混在していて妙味。暴走しては環境に振りまわされるという能動と受動のサイクルが、恋愛成就を予>>続きを読む
古都の土着性や固有名に由来するイマジネーションをフル活用した現代のフォークロア。森見登美彦を筆頭に小説では珍しくもない手法だが、情報量を厳密にコントロールできず、ノイズの混入(「ジャスコ入口」の看板と>>続きを読む
今石×中島コンビの集大成というより『グレンラガン』第3部を中心にしたデチューンな気が。台詞や画面の過剰な煩さは「いま熱血をやることの困難」の裏返しなんだろうし、「燃える火消し魂」や「燃焼させることで消>>続きを読む
原作のイメージより監督や大映のカラーが強い。クドさやネチっこさは抑えめで、重厚な人間ドラマも縮小。社会派かつモダンなピカレスクがテンポよく進行する。総回診に権威を象徴させるのは後年のドラマと共通してい>>続きを読む
入り組んだ立体構造のセットに人の出入りが錯綜。レイヤー感全開の空間をカメラが流れ、悲喜こもごもの人間模様に次々とフォーカスを当てる。ストリップという口実を得て要請されたスポットライトは煙草の紫煙をスモ>>続きを読む
河川の氾濫、竪坑櫓の崩壊、坑道への流水、発破による排水と、小細工なしに「モノ」が映っていることの説得力。ジャーナリスティックな要素もドラマの妨げにならない絶妙な塩梅。救出作業がいきづまると映画じたいも>>続きを読む
人や車が画面を横断する運動の連鎖、前景も後景も錯綜しまくる風景をゆるやかにうつろうカメラ、ハンマースホイ的な構図で背を向けた人物のアンニュイな生活感。どれも目を引くが、屋内と屋外、フィックスとトラヴェ>>続きを読む
このメチャクチャにトチ狂った男女関係が本土と沖縄の寓話として本当に妥当なのかよくわからんし、うさんくさすぎる殿山泰司とウチナンチュに見えなさすぎる戸浦六宏もかなり謎なのだが、こういうアイロニーを経由す>>続きを読む
排他性に付和雷同に事なかれ主義と、日本の村落共同体の負の面がこれでもかと強調。長のリーダーシップが幾度となく揺さぶられるも、異常な高弾性を発揮して既存の秩序が維持されていく既視感。地中に埋められること>>続きを読む
砂漠の白、故郷の緑、海の青のコントラストがあざやか。変化に富んだ砂丘の稜線と主人公の動線をデザインに採り入れたOPクレジットも洒落てる。岡本喜八は西部劇のローカライズとして北支戦線を見いだしたが、こち>>続きを読む
激アツ。永遠の戦場という虚無において、それでもなお連綿と受け継がれていく意志。空襲→塹壕守備→突撃→電話架設と、躍動と緊張が交互に構成された戦場の緩急と迫力が圧巻。ランプを投石で破壊する磊落かつ能率的>>続きを読む
『万引き家族』の参照先のひとつ? 一家の造形、季節の変遷、視線とサインと周囲の状況を細かに編集した「仕事」のシーンなど、共通点が多い。全国横断ロケとシネスコの幅いっぱいに活かした画面が多彩で飽きない。>>続きを読む
『愛人ジュリエット』同様、カルネ×トローネルの中世幻想譚は雰囲気バツグン。プレヴェールによるコッテリした愛の訴えを、時空間の匿名性と質朴な衣装美術が嫌味なく伝える。だいぶ力技な魔術演出も意外に賞味期限>>続きを読む
アルメンドロス神。ショタの粘着質な視姦に寄り添うカメラのパン、歩行や3ケツのドリーなど、視線と移動の映画だった。両者をガラスの反射を利用して結合したショットは白眉。紐帯と牽制が混在したホモソーシャルの>>続きを読む
伝説の誕生に立ち会っているような興奮はたしかにあり。ライトサイドとダークサイドの頂上決戦が議場をせり上がっていくシーンは何度観ても燃える。外敵を捏造して脅威を煽り段階的に権力掌握、なんてアタマ悪い陰謀>>続きを読む
言葉とは裏腹に童貞を殺しにかかってるとしか思えないドスケベ衣装乱発なパドメお姉さん好き。敵がフツーのおじいちゃんで味気ないぶん、もはやなんでありなR2-D2とチートすぎるヨーダの外連味でカバー。あきら>>続きを読む
関税強化に反発する貿易業者の示威行動に対して、動揺した議会は武装オカルト教団を仲介に宥和を図るも……という導入からして「は?」。SWにしてはムダに複雑だがポリティカル・フィクションとしてはショボい状況>>続きを読む
殺しても黙らなそうなレオーを虫の息まで追い込むフランソワーズ・ルブランのキレッキレな舌鋒にゾクゾク。「ティーポットの注ぎ口に似た古びたペニス」とか「いつも胸ばっかりの中途半端な愛撫」とか、自分の彼女に>>続きを読む
「サンタコスして記号をまとったらセクハラ&ナンパに成功」という発想に「匿名アカで親しくなってワンチャン狙う」に通じる現代性というか普遍性を見る。いつの時代もアホな男たちの映画。喧嘩勃発かと思いきや「新>>続きを読む
男女ともにまったく華がないトリオ。グダグダのクドきで女がなびかないから財布をスってバックれるまぎれもないクズっぷりに笑う。ナンパ失敗の翌日に、鏡を見ながら顔面への自信を表明する謎のポジティブさ、積極的>>続きを読む
なんとなくアンナ・パヴロワが躍る「瀕死の白鳥」の映像を彷彿。色も音もない、不確かで隔絶した彼岸から、いまは亡き女たちの優美がつぶさになまなましく迫ってくることの不思議な倒錯感。ニコの『ジ・エンド』のア>>続きを読む
ガレル一家がほとんど本人役で総出演。ブリジット・シィの「自分を映画に出し、ふたりでいっしょに映ってほしい」というガレルに対する哀訴は、まもなくメタレベルにおいて実現してしまい、映画はすでに達成されてい>>続きを読む
愛をめぐる名言・至言が連発されるも、登場人物たち自身がやがてその言葉を裏切りスポイルしてしまう救いようのなさ。破局のドラマ以上にそのことが切なかった。どこまで事実に忠実なのかわからないけど、トイレット>>続きを読む
『秘密の子供』と同じく、ファトン・カーンのピアノが甘美。よくもわるくも饒舌に女たちのまなざしを代弁する。エマニュエル・リヴァの対照的な二度の裁縫、洗濯物のシーツによってくりかえし寸断される愁嘆場などが>>続きを読む
わりと誠実にジャンル映画として成立させようとしている姿勢は好感が持てるし、『35杯のラムショット』あたりとも通じる父娘関係はノーランのそれなんかよりずっと色気がある。無菌的というか衛生的な空間における>>続きを読む
ラザロ役の俳優の顔、体格、佇まいがマジで異様。真に無垢なる存在の虚無。すべてを受け入れるがゆえに相対する者たちの人間性をありのまま浮き彫りにしてしまう。自然光の処理などにも感銘を受けたが、演出されたハ>>続きを読む
「停泊した港々の女たちに俺より先にツバつけてる野郎はいったい何者なんだ?」という展開がブロマンス版『耳すま』でヤバい。「俺はあいつがどんな女よりも大事なんだ」なんてド直球すぎるセリフもいいゾ〜。やっぱ>>続きを読む
みんな大好き勧進帳。演劇的なケレン味と映像のリアリズム、大河内の重厚な気迫とエノケンの軽薄な滑稽、能の謡に洋楽のコーラス。こういった異物混合が短い上映時間と限定的な状況の中に仕込まれすぎててかなりヘン>>続きを読む
安っぽい画面、あざとい台詞、クドい演技……。まるでTVドラマのような通俗性に面食らう。仮装パーティーの混沌とヤケクソな朗唱のドサクサで、スノビズムとプライドとコンプレックスの混乱がほぐされていく感じは>>続きを読む
一年目をマイナーチェンジした「吹奏楽部あるある」に食傷気味。せわしげな構成のわりに説明過多で鈍重だし、個々のエピソードがクライマックスの演奏へと結実するでもなく散漫。マーチングの奥行きを欠いたレイアウ>>続きを読む