かなり気合い入ってた観覧車の切り返し、斜めから撮ってるのに目隠しする手の甲は正面を向いているショットがAVの擬似主観シーンみたいな嘘構図で笑った。電車のトンネルの暗闇と騒音の使い方も、アニメでしか成立>>続きを読む
子連れの元カノに出し抜けに出くわし我が人生を省みたばかりだったので、色々と刺さった元カノ行脚映画。しかし、フラッシュバック多用&素朴に長すぎる回想はあまりにもタルい。カクテルやラジオパーソナリティーな>>続きを読む
anan界隈ではダダ漏れになる男の色気をそれなりに抑制させた斎藤工、造形や質感からくるウルトラマンの官能美を内包してる感じが出ててよかった。一方、全身を映したほうが明らかにエロいはずの長澤まさみの局部>>続きを読む
シティポップの「都市」イメージの変遷(空想上の摩天楼やリゾートからローカルな生活圏へ)にビジュアル面で呼応する鈴木英人パロ。コンポジットで背景をいじりまくる傾向が目立つなか、フラットな質感と描線で勝負>>続きを読む
「日本の制服ヒロインがディズニープリンセスの仮装をすることで歌声を手に入れる」という表象的にアツい設定にまったく批評性がない……。というか本当に中村佳穂でよかったのだろうか。横構図から縦構図への転換、>>続きを読む
プロトタイプ。ミニマル『はちどり』。壁越しに聞き耳を立てる娘と、娘に探りを入れさせる母のマッチカットで父権構造をスマートに提示する。背景で垂れ流されるソウルオリンピックの中継に、やっぱりそういうパース>>続きを読む
被写体とカメラの緊密な連携が画面の隅や後景に潜在する不穏を拾い上げる。が、まったく段取り感はなく、硬軟両様の暴力性にさらされて静かに摩耗していく子どもの、ともすれば散文的になりかねない息苦しさの中に、>>続きを読む
『狩人の夜』の狂気を継承した「PURE」で現実をぶん殴る。地方のリアリティー(レディオヘッドは大衆文化じゃない)にもとづく文化的なナルシシズムは上京しても揺るがない。大人にならないし、現実と和解しない>>続きを読む
韓国社会に根を張った複雑な抑圧の構造を透徹した視線で見すえる。絞りを開いた浅い被写界深度の画面は「現代映画でござい」感がして好きじゃないけど、多くのわかりえないものについて、同情せず、断罪せず、しかし>>続きを読む
子どもが走ってランドセルの中身がゴトゴト音を立てる。あの感じがそのまま再現されていることに本当に感動してしまう。たしかにここには現実を再発見する喜びがある。バチバチにキマっていくレイアウトと充実した芝>>続きを読む
TVシリーズ未見。手癖みたいなカメラの回り込みが、踊る、振り返るといったアクションを強調したり、異形の半面を時間差で露わにしたり、主人公を取り巻くふたりの女という構図を浮き彫りにしたり(←この時のヒロ>>続きを読む
猫の軽やかな動きと毛の質感に胸キュン。岡田麿里印のエキセントリックガールに対する監督のアプローチもたぶん正しい。絶対に没入せず距離を保って愛でてる。そのためか、高所からの眺望やローポジションのカットも>>続きを読む
銀座の町をひとつのコミュニティーとして捏造してしまうのが川島らしい。店の裏口が文字どおり銀座の裏の顔へのアクセスになってる探求感にワクワク。和光の時計塔、森永地球儀ネオン、ナショナル星型ネオンといった>>続きを読む
「いけませんそんな悪魔的なおっしゃりかた」←誘惑をはねのけるときに積極的に使っていきたいフレーズ。南田の浮気電話から轟の浮気電話につなげたり、踏切の警報がガス中毒死の予兆になったりする編集は健在だけど>>続きを読む
南田洋子と轟夕起子のまったく交錯することなく並走するふたつの不倫劇を編集と構成の妙でリンクさせていく。轟が「待ってらしたら?」と言われた次のシーンで南田が「待ってるんだよ」と言われ、小杉勇が宴会に向か>>続きを読む
2015年の夏コミに現れたのいまだに謎なんだけど、これのリサーチ? 雑な映画だが、被写体の男のヤバさに救われている。石井裕一のあきらかに自分で編集してるっぽいウィキペディアを読むとさらにクリアに観れる>>続きを読む
視線のドラマ。イザベラ・ロッセリーニが元カノに似すぎてて震える。ママンの愛ゆえの観察眼がヤバい。グウィネス・パルトロウ←ホアキン・フェニックス←イザベラ・ロッセリーニという窃視の連鎖シーンがたぶん映画>>続きを読む
光がヤバすぎる。前時代の異星人侵略イメージを忠実に再現したB級感と、9.11のトラウマが投影された迫真的なパニックが並存。ハデなスペクタクルがミクロなスリラーへ転調。こんなデタラメな映画を成立させてい>>続きを読む
すごすぎてなんにもわからん……。高密度な物語と映像がデフォルト1.5倍速みたいなテンポで展開される。複数の関係性を、モチーフのレベル(別人を宿す=顔を二重化する「お面」)でもイメージのレベル(トマト→>>続きを読む
映画の歴史的営為の蓄積が画面の連続性を担保していることにグッとくる。一方ではアクションを途絶させている箇所もあり、たとえば雨に打たれるジーン・ケリーのあとをだれにも引き継がせない。名シーンの交代不可能>>続きを読む
美少女萌えノスタルジック大林とヘンテコビジュアリスト大林と戦争批判大林とが有機的に共存。情報量と想像力の大氾濫に陥ることなく、フィックス撮影の中で(比較的)抑制されて希有な調和を保っている(気がする)>>続きを読む
ムダにキレのある動きや、文節で区切る硬質なせりふ回しを、シャープな編集で強調してバキバキとリズムを刻んでいく。渥美マリと川津祐介のこの過剰な応酬が楽しい。ただ、この映画に求められていたのは、大企業をや>>続きを読む
ドリーレールを引くべき大爆走をパンの反復と荒ぶるポン寄りで押し切ってしまうのでケレン味しかない。勝手にぶちアガってバンツマを追っかけていく長屋の住人たちが、観客のシンクロ対象として存在してるので相乗的>>続きを読む
初トーキーとは思えないほど音の使い方が洗練されている。番号の号令、階段の足音、船の汽笛。決定的な出来事の進行はオフの音で語られていく。役者の発声も、濃密な男女の駆け引きにおいて、身振りと同等かそれ以上>>続きを読む
かなり好きなグリーナウェイ。「均整な構図と統制された芝居の人工性の中で、極彩色やいかがわしい照明やエログロの官能美を露悪的に際立たせる」みたいな戦略があざとくて本来はノレないのだけど、それらすべてが数>>続きを読む
船上の多彩なポジションから捉えられた河や水路、ゆっくりと移ろう河岸の情景とそこに息づく当時の生活の気配にときめく。流れがなめらかすぎて、最近よく見るフレーム補完リュミエール(←クソ)みたいなヌルヌル感>>続きを読む
脚から登場してドパルデューが振り返るまで顔が影に覆われているファニー・アルダンのファムファタール感。こっそり逢瀬のサスペンス構造を早々と放棄して、やけぼっくいについた火が大延焼していく奔放な語りがすご>>続きを読む
エピローグにいたってついにナレーションではなくレオー自らの口で語られる心情「これがぼくか。老人のようだ」、そしてトリュフォー印の子どもの群れに挟まれて去っていくラスト。これが歳をとるほど沁みる。所作の>>続きを読む
三丁目の夕日が射し込みまくってる画面はツラかったけど、『レディ・バード』の母娘ドライブ強化版みたいなシンクロ編集が全開になると、さすがに審美より話術への感心が上まわる。暖色と寒色の往復が、過去と現在の>>続きを読む
日照と宵闇の変遷を丹念に追ってる映画には弱い。これもオフの環境音が豊か。野蛮なのか繊細なのか本当によくわからない音響操作にザワつく。そして頬袋たれさがってるババアがあまりにもよい。テキスト的にはもっと>>続きを読む
シーツが一瞬ふくれあがってゆっくりとすぼむのだけで新鮮。生活の残滓を顕微鏡的に精緻に捉えたり、ピンぼけの事物を反射で重ねたり、断片的で抽象的な像と音の多層性で、乱脈に呼び起こされる「家の記憶」を再現す>>続きを読む
棒読み正面切り返しの圧がヤバい。女が「新妻」「作家志望」「酔っ払い」といった役割を自覚的に演じているので、この棒読みが逆に真に迫る。役割や物語(『見知らぬ乗客』)から解放されて幸せになるには死ぬしかな>>続きを読む
マージナルな人間の短絡的な暴力衝動とイノセントな愛が共存しているこの感じ、たしかにロマンポルノっぽい。というか制作コストが段違いなのでロマンポルノ最終形態感がある。なにより芝居の作り込みが凄まじい。隔>>続きを読む
構成の趣向で見せるアイデア先行の小手先感が好かず。ファーストカットとインタールードの仕掛けには感心したが、これもタネ明かしの快楽みたいなもので個人的に映画に求めているのと違う。ただ、因果関係の説明に終>>続きを読む
カラーグレーディングがムリすぎる。不自然に彩度が高くてキモい。8ミリ加工もやっつけすぎて逆効果。どんなにジャーナリスティックな題材だろうと、クライマックスではカーチェイスをやらずにはいられない韓国映画>>続きを読む
サイレント喜劇な趣きもあるヘッポコ探偵業が楽しい。『アメリカの夜』とかもそうだけど、トリュフォーのダイジェストモンタージュって軽快で最高だ。彼女との電話を回線不調を装って切るところと、採用試験の出来レ>>続きを読む