ゴトウ

ブラッシュアップライフのゴトウのレビュー・感想・評価

ブラッシュアップライフ(2023年製作のドラマ)
5.0
ゆるっとしたセリフ、シスターフッド、毎回流れる平成懐メロ、ちょっとした地上波ドラマ史まで入っていて、ウケないはずないよな〜と思った。あーちんと同じ世代の人とか、人生ベスト級にどハマりしてもおかしくないわ。リアルタイム放送の時に乗り遅れたのが惜しい…こうした名作地上波ドラマがサブスク配信されて「二周目」で出会えて本当によかった。終盤3回くらいは毎回ボロ泣きしてしまいました。

「芦田愛菜ちゃんは人生二周してる」みたいな物言いとか、タイムリープものブームから出発してるんだろうけど、よくここまで話が広がるなとため息が出る。「次生まれたらあれがしたい」とか「あの時ああ言っていれば」とか、実際にできるなら楽しいかも…という序盤から、友達を助けるついでに大勢の命や昔の担任や友達の家庭を救ってみたりし始める後半まで、ゆるいギャグが一貫して救われた。「人生をやり直す」という突飛な設定が、ほんのちょっとした行き違いであの子と仲良くなれたかもしれないし、仲違いしたかもしれない、という身近な痛みを際立たせる。「再び生まれ直すことが可能ではあるけれど、死を迎えるまではリセットできない」というのも、大切な人を失ってなお生き続けなければならない過酷さを思わせるというか、生まれ変わり可能という設定が逆に命の重みみたいなものを考えさせてくる。

少なくとも明言される形では自死に言及がないのは自主規制的なことでもあるのだろうけれど、大きな喪失の後も残された者の人生は続くという現実を前提としているようで厳しくも誠実な印象を受けた。友達を一度に失った麻美はそれでもなお、誰かを救うかもしれない研究に死ぬまで没頭する。まりりんは生まれ直しを続けながら、飛行機に乗って友人たちを救うためだけにひたすら努力する。前半の麻美や市役所の河口さんのように自分の時間を楽しんだり、別のあり得た可能性を追求してみたりする生き方の面白おかしさから、人知れず苦労して大切な人を救うためだけに生き方に主軸がシフトしていく。人生何周もした人が行き着くのが利他であるというのが、その範囲が仲良し四人組に留まっていてその他の人々は「ついで」であることまで含めていま可能なヒーロー像の貴重なサンプルのような感じもする。アスリート的でもあり、マイルドヤンキー的でもある。(この「結果的に誰かを助けてしまうだけ」は、河口さんが「ムカつくから仕返し」という理由で機長の不倫を暴露し、結果的に麻美たちを救うというより滑稽な形で繰り返される。)意味ありげに出てきた浅野忠信も、「愛する人を救うためになりふり構わない」みたいな主人公像をデフォルメして笑っている感じ。一度は毒を使いかけたりもしたけれど、やっぱり「清く正しく美しく」というどこか潔癖っぽい感じも時代の空気感みたいなものを思わせる。独りよがりなヒーローはもう敵役かピエロにしか映らないという。「そんなに助けたい割に離婚は避けられなかったんだね」も、遠視的な使命感に駆られる前にまず大切なその人との関係性をなんとかしろよというツッコミとして見られる。仲良くなるタイミングを逸したけれど、大人になってから勇気を出して声をかけて仲良くなれたという経緯があるあーちんとまっさんが言うから説得力もある。繰り返される「不倫阻止」も単なる天丼というだけではなくて、短絡的な一段飛ばしの否定ですよね。あとはネタにできて、目くじら立てるほどじゃないというエクスキューズがつくにしてもみんなが一応は「悪いこと」と認定できるレベルの不徳というのもあるでしょう。懐かしJ-popにしても成人式ヤンキーへの冷笑ツッコミにしても、自分に引き寄せて入り込まざるを得ない描写が多い。「あるある」の強度が段違い。これ見ちゃうと『いちばんすきな花』とか鼻クソ以下!と一人地獄ドラマクラブも開きたくなってしまう。

「不倫阻止くらいじゃ弱い」「もっと大勢の命を救うとか」などと企画会議と劇中劇でメタネタをやってみせ、しかもそれが後々実際のドラマにも反映され始めるみたいなところも巧み。ただそうした技巧やメタ視点みたいなところを経由して、ブラッシュアップの果てにあーちんとまっちょが辿り着くのがベッドタウンのカラオケ、地元ノリのダラダラしたおしゃべりというのがなにより感動的。友達があだ名で自分を呼んでくれたことに感動してあーちんが泣く場面、安藤サクラの五倍くらい自分が泣いてしまった。突飛な設定でありふれた幸せの大切さを描き、メタを経由してベタを描き切る見事さ。自分たちや親友たちの人生を破壊してきたスペースデブリが、回避した後から見てみれば綺麗ですらあるという皮肉、些細なきっかけで終わる人生、些細なきっかけでつながり合える友達、一周目かつ最後だと思って、流されるのではなく流れて生きていこうと素直に思えました。

知恵をつけすぎたり、先の見通しが立ちすぎているせいで上手く友達が作れない描写とかは、あまり俯瞰ばかりしすぎるなというメッセージとして捉えた。バカリズムがそれを言うから意味がある気もする。「ひねくれ芸人」みたいなメタ芸、ある種の冷笑をこうして精算していると思うと、『ナナメの夕暮れ』の感動も蘇る気がする。あとは『エブエブ』がマルチバースの形で描いたのと近いものも感じる。「どうせ最後は死ぬし、自分に開かれうる可能性はある程度見えてしまっているのだ」という諦念が容易に反出生的な考えに辿り着くのも不自然ではないけれど、やっぱり「生まれたからには生きてやる」、生を肯定したいのだ、という切実さ。自分の欲望や願望を相対化して動けなくなっていくよりは、(なれる範囲で)なりたい自分を目指して動くべきだし、身近な人との対話を大切にするべきだという、もうただの駄々といってもいいような人生讃歌。石に生まれれば悲しくないかもしれないし、海ゴキに生まれるほうが友達を失う辛さを味わうこともないかもしれないけれど。

さらに言うと、このドラマはカノンイベントの超克という点で『スパイダーバース』の先をいってしまった可能性もある気がしています。パイロットになって事故で死ぬことになっている友達を救う麻美、もしミゲルがいたら止められてるかもしれない。『スパイダーバース』でやるならマイルズはスタン・リーになるしかないことになるけど……。しかし「全員は救えない」という部分をこのドラマはうやむやにしてもいるので、マイルズモラレスはまた違う乗り越え方をしてくれることを期待しています。

粉雪加藤、最後に出てきても一言も喋ってなかった。そりゃいまだにこすられるだろ。なんだったんだあいつは。
ゴトウ

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