ゴトウ

仮面ライダー剣のゴトウのレビュー・感想・評価

仮面ライダー剣(2004年製作のドラマ)
3.7
東映YouTubeチャンネルの配信で再視聴。オンドゥル語に象徴されるように前半ハチャメチャ→後半からビターエンドまでが激アツの名作、みたいな評価が固まっているような印象。改めて観てみるとこんなに前半ひどかったんだとちょっと驚いた。設定の説明も少なく、誰と誰がなぜ敵対しているのかもわかりにくくてかなり不親切。オンドゥル語にばかり目が行きがちというよりか、いじって楽しまないと観てられないという感じ。「職業ライダー」というコンセプトが上手くいっていない(第一話から属する組織が壊滅しているのだから)のが大きいのかな。しかし後半の盛り上がりはやはりすごい(粗がないとは言わないが)。名場面、名セリフも多いし、ただ本当に粗かったせいで生まれた橘さんのおもしろさも今となっては貴重。あざとくバズろうとしても出せない味だ。人の心を知っていく怪物と、自ら怪物になって世界を救おうとする人。カードの表と裏、切られないままの切り札、トランプモチーフの物語の落とし所として美しい。子ども心に、こんな苦い終わり方をするのかとびっくりした記憶がある。カードの組み合わせで技が発動する設定も、使われなかったカードの戦術を想像したりする余地があってよかった。

「昭和ライダー」の否定から発進した平成ライダーシリーズが、再度「昭和」エッセンスを取り入れた作品、との総括を回顧録で読んだ。意外と力技の戦い(「人を守りたい」という思いが強いから勝った!とか)もそうかもしれないけれど、何より「なぜ仮面ライダーは戦うのか?」→「人を守りたいから」をことさらに繰り返してみせたり、愛する人を失った悲しみを……みたいなのを強調しているのが目に付く。「ヒーローってそういうもんだから」を掘り直してそこに辿り着くという意味では、やはり「平成」的でもあるかもしれない。その「そういうもんだから」のフリの部分として「職業ライダー」設定があったんだとすれば納得いくのですが、じゃあ一話で雇ってる側の組織が壊滅して「ナズェミデルンディス⁈」はダメだろう……。

四人のライダーそれぞれにドラマを用意しないといけない関係で、序盤は橘さんが主役かと思うような展開が続く。戦いへの恐怖心だの、才能の差で仲間に嫉妬するだの、ウジウジした部分は今日のヒーローものっぽいかもしれない。剣崎の方は怪物である始との友情を築いて、その結果どういう選択をするのか……というところがいちばんのドラマになるけれど、なぜそこまで始に肩入れするのかなぁと不思議にも思った。結局は始の方にも誰かと信頼しあいたいという気持ちがあって、たまたまタイミングが合ったというのが大きいのだろうけれど。剣崎と始の友情がどうなるのか?という話が世界の命運にまで発展していき、剣崎による始のための自己犠牲によって世界が破滅から救われる……というのはセカイ系っぽいと言えなくもない?睦月は「突如強大な力を得た人間がどうなるか」というところなのだが、スパイダーマンのようにはならず(蜘蛛のライダーなのにね)、別人格に乗っ取られ状態みたいな時期がちょっと長すぎた。正式に仲間入りした時には他のライダーが強化済みでパワーインフレについていけていないのも気の毒。

人に興味をもって近づいた結果としてすっかり情にほだされてしまうというジョーカーのあり方は、生まれながらの戦闘マシーンにも心が芽生える可能性を描くという意味で「脳改造されてなおバッタ男は『仮面ライダー』たりえるか?」という新機軸。そもそも対話不可能もしくは対話の意思なしだったグロンギ/アンノウン、完全なる獣だったミラーモンスター、そもそも人間から変化したオルフェノクのどれとも違う。短命ゆえに放っておいても滅亡するオルフェノクと違い、(平成ライダーにおいては)共存の可能性が本気で検討された初めての怪人。高い知能と人間社会に溶け込める擬態能力がありながら、不死ゆえに本当の意味で人間としては生きられないアンデッドの存在は哀しくもある。後日談で語られる始(と剣崎)の行く末は過酷なものだったし、本当の意味で始を人間として生きさせたかったというよりかは、大好きなお互いを傷つけ合わなくて済むように……という話に見えなくもなかった。濃厚なブロマンス。カリスはロリコンライダーとも言われていたけれど……。

怪人、ライダーともにデザインもイケてる。単純な疑問として、現行のシリーズってなぜこのときくらいのラインで収められないんだろうか。ハートマークモチーフでここまでかっこいいデザインになっているカリスがやはり一番かなという印象だけれど、アンデッドのデザインもどれも魅力的。システム音声もこれくらいシンプルであってほしい。誤解や内輪揉めのライダーバトル、「〇〇プラス仮面ライダー」というコンセプト系、等々は後年のライダーに引き継がれていったわけで、「『仮面ライダー』の再定義」としての平成ライダーは『555』でひと段落して、ここから長寿シリーズとしての平成ライダーが始まっていったのかもしれない。『クウガ』〜『555』はあまりにも完成されていたけれど、多少の粗がありつつも意欲的な『剣』がシリーズのその後に及ぼした影響も大きいのでしょう。続く『響鬼』で苦いつまずきも発生するわけですが……。

あまりにも悲壮な剣崎と始の結末、『ジオウ』でああいう二次創作(と言い切ります)が作られるのもファンの願望としてはありなのかなと思うけど、一年間かけて人ならざるもの(≒初代で言うところの「改造人間」)に変わっていく物語が迎えた「今もどこかで剣崎は運命と戦っているのかもしれない」という結末は尊重すべきじゃないのかなぁ。粗は多いけれど、あの思い切った結末が作品の格を上げているとも思うので。でも一番の名バトルは「この距離ならバリアは張れないな!」かもしれない。あれも何の根拠もないしたまたま成功しただけじゃん、と思うけど、橘さんなら許せてしまう。

しかしこの俳優陣から竹材輝之助が一番ハネるとは。次点で本宮泰風?本宮は活動の幅が広がっただけで元々人気のある俳優だったとは思いますが。
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