ゴトウ

いちばんすきな花のゴトウのレビュー・感想・評価

いちばんすきな花(2023年製作のドラマ)
2.0
途中から真剣に観るのが苦痛になってきてしまい、意地で完走しました。切り口が斬新なこととそこに説得力があるかどうかは別で、自分には全然刺さりませんでした。脚本は坂元裕二の教え子らしいのですが、坂元裕二的なものって坂元裕二がやるからいいのであって、そこに視野狭窄の被害者意識を持ち込むのは悪手だろアリンコ。「唐揚げにレモン絞るなら確認してくれよ」って言ってるうるさい人の滑稽さを楽しむのと、「確認せずに唐揚げにレモン絞る人は無神経だ!」と心から同意して被害者意識を募らせるのは全く別です。ウエストランドの漫才に本気でキレてる人がいる世の中なので不思議はないのですが、作り手側が意図してそういう人に寄せているにせよ、作り手側が本気で井口にキレているタイプであるにせよ、稚拙な話のような気がしました。「甲本ヒロト」に空目させる名前の作家の「パーティー」という本が出てくるのだが、お前らみたいなもんにヒロトの何がわかるんだ。

最終回で「嫌いなものの話をして仲良くなって生きやすい」みたいなことを衒いもなく登場人物に言わせるのだけれど、それならスマホを見ながらフィルターバブルの中にいれば良い。「顔の良い人もそれはそれで大変なんだ」みたいな主張は確かに斬新かもしれないけれど、じゃあそこにある特権性を無視して「男女の友情が…」みたいなクソ話に持っていくのはしょうもなくないですか?デカくて綺麗な家にいて、夜にダラダラ溜まり場に集まってても大丈夫な人たちですよ。クリエイターと大企業の編集者ですよ。そういう人たちが集まって「〇〇な人、苦手です」で仲良くなっていくの、『花束みたいな恋をした』で浅ましいこととして描かれていたことじゃないんでしょうかね。そういうコミュニケーションだけが好きならTwitter、もといXで好きな「界隈」に入っていけば良いだけであって、どこにでもありふれているような違和感や不快感を針小棒大に振りかざして、「繊細で生きづらい私たち」対「無神経なあいつら」みたいな構図で世界を捉える人たちは彼らが嫌う人たちとはまた別の意味で無神経。「人を傷つけない笑い」みたいなことを言う無神経さと同じで、他者を傷つけずに死ぬまで生きられるなどと考えている傲慢な人間観が見え隠れしていて不愉快。

偶然の出会いで「言わなくてもお互いのことがわかる」(これも互いを「キャラ」で理解してSNSで相互監視し合うような関わり合いでキモい。ガキかよ)友達と出会うことは善いこととされるのに、街中で男性が声をかけてくるのは不愉快だから大きい声を出して威圧する。「顔がいいなりに苦労がある」だけではちょっと説明がつかないでしょう。興味を持っていない相手とのコミュニケーションを忌避するに至る経緯とかもいまいち納得できるようなものが示されない。「心開いてるから口が悪い」とか、許している相手側の器の問題だからね。最終回の最後、店で大声出して四人が怒られるのですが、テメーらがそれ見てる側だったら絶対グチグチ嫌なこと言うだろ。

別に、ドラマには何か劇的なことがなければならないと言う気はないのですが、男女4人溜まり場に溜まって駄弁るのがメインだった『初恋の悪魔』とも比較せざるを得ず、殺人事件の謎とメイン四人以外のサブキャラの掘り下げまでやって最終回では感涙した『初恋…』とこうまで差が出るかという感じです。「男女でいるからって恋愛関係とは限らない」のフリから、「でもやっぱりこの人のこと好きかも」ときて、でも結局(それだと最初のフリと矛盾するし「新しい」ものじゃないから)「付き合うとかじゃありませんでした」で数話引っ張られていましたが、本当にどーでもいいとしか思えませんでした。何か起きなきゃいけないとは思わないけど、あまりにも何にも起きなさすぎ。強いて言うなら「4人で集まって浅はかな被害者意識を募らせたあげくに解散する」話です。

急に出てきて4人共通の知り合いだった!と言われる田中麗奈、何の縁もゆかりもないのにたまたま出会って仲良くなる方が良くない?「〇〇さんがフォローしています」があって安心するみたいなこと?劇中世界ではSNSの存在感が薄いタイプのドラマなのだけれど、登場人物たちの関わり合いがあまりにもSNSすぎるからなのかなと勘ぐってしまいます。『サンクチュアリ』をつまみ食いするにしても遅いし、脈絡なく藤井風が登場するのも意味わかんないし、X実況勢がどうやったら盛り上がってくれるか?への目配せなのかしらね。
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