ゴトウ

タイガー&ドラゴンのゴトウのレビュー・感想・評価

タイガー&ドラゴン(2005年製作のドラマ)
3.5
『不適切にもほどがある!』を機にクドカンワークスを遡ってみた。タイガータイガー、じれっタイガー‼️をJPのモノマネで先に見てしまった不幸を感じつつ、「下品で粗暴だけど愛がある」みたいな人情噺がギリ成立してた時代だったんだなと節々で思わされた。昭和でもなんでもなくバリバリ平成のドラマだが、「給料未払い」「女性をブス/ババァ呼ばわり」「殺人で解決」などなど、「不適切」要素大盛り。自分は面白いドラマと思って観ているのだが、これがないと成立しない面白さではないのではとも思った。「ホモじゃないんで安心してください!」とか、視聴者がなんとも思わず観てた時代だったんだなあとか思ってしまうわな。旧ジャニーズ所属の俳優がそのセリフを言っているとかも含めて……。

逆にそうしたセリフが2024年においては「不適切」気味になっていることがクドカンはわかってたということにもなると思うのですが、そういう個別の表現のレベルではなく物語全体、「荒くれ者の心温まる人情話」がうやむやにしてしまう部分も際立って見えてしまった。これもまた時代の流れとかトレンドの部分があるのだとは思うが、名前を名乗らされるだけで実質小虎と師匠のあれこれに巻き添えにされるだけのうどんくんとか、彼も彼で自分の食い扶持としてヤクザをやってただろうに殺されちゃったウルフ商会の彼とか、古田新太にボコボコにされた街の若者とか、美談の陰で踏み付けにされている人がいるところにモヤモヤを感じてしまう。ましてそれが古典落語の新解釈として一つの「物語」に落とし込まれてしまうというのが、「迷惑をかけられる方」を透明化してしまう暴力性を強調しているようにも見えた。これは、例えばこち亀の両さんに対して「不良警官!ありえない!」と本気で怒るようなシャレの通じなさとはちょっと違う(と自分では思う)もので、今『ジョジョ』一部観るとジョナサンよりディオの方に感情乗っちゃうな……みたいな感覚。じゃあ今ストレートなヒーローものは全部楽しめなくなったか?と言われればそんなことはないのだが、無数のスピンオフが当たり前になっている時代の感覚だと目配せされていない部分に目がいってしまうだろうなと思った。あとはそれこそ『こち亀』の「初めから悪いことしてない奴の方が偉いに決まってる」という、シンプルなワルの更生否定論で受け付けない人も今の方が多いだろう。(これには全く賛同できない。)

要は悲しいバックボーンがあって今はヤクザをやっているという主人公・小虎の「かわいそう」「人情に厚い」部分だけが強調されていて、その過程でケガさせたり死に追いやったりした相手がいるという事実はなかったかのように扱われるのが気になる。逮捕されて出てきて…で演出されるのも暴力への反省とかではなく、刑務所内での落語の稽古、あとは師匠たちとの涙の再会だしな。「ヤクザ」もお気楽おふざけ軍団のようでもあり、単に金貸しのようでもあり、と思えば普通に殺人が描かれたり、話の都合でぼやかされたいわゆるファンタジーヤクザそのもの。今の価値尺度で古い作品を「裁く」ことには慎重になるべきとは思うものの、そういう軸ではなく単純に作劇としてどうなんだという粗さはあった。落語協会的な組織との兼ね合いで小虎を許せない、という話が数分でどっか行ってしまい、みんなで「じれっタイガー!」してるのとかもよく考えれば変だ。

とはいえ、そういうことを置いて楽しめるだけのテンションの高さと話運びの巧さがあった。毎話古典落語になぞらえてドラマが展開していくのも、毎週このクオリティでやってるのはシンプルに驚異的。愛すべきキャラクターたちも多数いる。が、やはり林家亭の弟子たちの扱いはあんまりだ。芽が出ない上に変な名前つけられてるたけし軍団の軍団員見てるみたいな気の毒さがあった。しかし「アニキ」やらせたら右に出る者がいない長瀬智也はやはりかっこよかった。めぐみは伊東美咲の棒読みも相まってものすごいアホっぽくてよかったし、健気で力強いリサを見て初めて蒼井優をかわいいと思った。ちょい役で星野源がいたりとか、古いドラマは改めて観ると俳優の活動や顔ぶれの変化がわかって面白い。

しかし落語の古典の筋などはさっばり入ってこない。『ヒカルの碁』読み終わった後に囲碁のルール全くわからないのと同じ。ジャンプ亭ジャンプなんて名前の落語家も出てきたせいか、なんだかマンガの例えが多くなってしまいました。思わず吹き出し てしまうような、良いコメディドラマだったということでございます。
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