ゴトウ

仮面ライダー龍騎のゴトウのレビュー・感想・評価

仮面ライダー龍騎(2002年製作のドラマ)
4.5
さすがに思い出補正はあると思ったけれど、それを差し引いても面白い。ポップカルチャーを論じるときに『エヴァ』『まどマギ』に並んで頻出タイトルだと思いますが、それも頷ける。あとデザインや設定が二次創作(あるいは妄想)の余地を残すものなのも大きそう。世界のリセット、バトルロワイヤル、ブロマンス、……などなど、本筋がしっかりした上で大量のフックが散りばめられているのもあって、以降の作品(ライダーに限らず)に与えた影響も大きそう。『龍騎』→『まどマギ』の影響もあって、それが『鎧武』で逆輸入される流れも面白い。

今作における「仮面ライダー」の扱いは欲望のために戦う一個人であって、「この戦いに正義はない」とまで断言される。一応「怪人」の枠であろうモンスターも、状況次第ではライダーの戦いの相棒。「契約」したモンスターに餌を与え続けなければ自分が食われるという描写からもわかるように、ライダー同士やライダーとモンスターの関係性は徹底してドライなものとして描かれている。番外編(なつかしのてれびくんスペシャルビデオ)における「人類の自由と平和を守る」という台詞がギャグになってしまうほど、いわゆる「ヒーロー」からはかけ離れた存在となっているのが今作の「仮面ライダー」。主人公の真司だけが、ライダー同士の殺し合いを止めようとする「邪魔者」であり、決して諦めない「バカ」である。ライダーたちの中には切実な願いを抱えた者も多く、おせっかいで押し付けがましい真司の行動は、ときに鬱陶しくすら映る。ではなぜ、見ず知らずの人を助けるために命を懸けて(他のライダーも自分自身やごく近しい人のために命を懸けているという意味では同じである)戦うのか?9.11を経て、(一応は)メインの視聴者層である子どもたちに「ヒーロー」が何を問えるのかが強く意識されていたことは、製作者らの発言からも明らか。主人公がネットニュースの記者見習いという設定は、『電車男』前夜くらいの時代にネットや報道がどう認識されていたかの参考にもなりそう。

『龍騎』以上に誰でも変身できて悪人のライダーも珍しくなくなった今では新鮮味も薄いかもしれないけれど、わかりやすいサイコ野郎みたいなキャラクターが変身する衝撃も大きかったはず。「人間はみんなライダー」はテレビスペシャルでのセリフだけれど、ライダーバトルは「平等に与えられたチャンスのなかで競争して勝った人が得をします」という実際社会で有効な建前をそのままなぞったものでもある。明らかに不公平なカードデッキがあったり、ゲームの仕掛け人が平等とは程遠いゲームの操作を行なったりするところも含めて。仮にそのゲームがインチキなものであったとして、それでもその小さな希望に賭けるしかないと戦いを続けようとする蓮と、ゲーム自体を止めようとする真司の二人が主人公として据えられているのも良い。「一つを犠牲にする勇気」というワードが出てくるように、真司が戦いを止めることはすなわち、病を乗り越えて生きたいと願う北岡や恋人を生かしたいと願う蓮の願いを封殺することを意味する。香川研究室の面々の言動はトロッコ問題も思わせるけれど、仮面ライダー像、ヒーロー像のあり方にも疑問を投げかける。選択し得なかった道を思いながら生きることの苦しみと、今ある現実を受け入れることの重要さは、最後まで行ったり来たりで結論が出ない。テレビスペシャルの「戦いを続ける/戦いを止める」という二つのエンディングは象徴的で、どちらの道を選んでも痛みが伴い、「正解」はどこにもない。神崎士郎が取り仕切るライダーバトルの始まり自体が喪失の拒否であって、「俺をひとりにしないで」という絶望的な叫びである。20歳を迎えるまでの命であることを承知で、いま孤独であることに耐えられずに優衣の延命を即答で了承する姿は、妹を思う兄のものではなく、むしろどこまでも自分本位な人間のそれでしかない。一方、そこで他者と争うこと自体を楽しんだり、自身の利益が最大化するように他者を出し抜こうとするライダーも現れるが、真司はそれら全てを飲み込んだ上で、それでも戦いを止めようとする。

最終話付近の壮絶な展開は子ども心にも衝撃的だったし、やはり誰かを蹴落として(あるいは殺して)自らの願いを遂げようとしているなら友達であっても止める、目の前で脅かされている人がいたら身を挺して助けると腹を括った矢先に自らが倒れるという、あまりに残酷かつ皮肉な運命は今見ても相当重い。一年間迷い続け、結論が出ないままだった真司が最後にたどり着いた結論が、命を懸けて少女を守る古典的なヒーロー像であるというのがよくできすぎていて、今回見直していてもかなり泣けてしまった。他人を蹴落とす戦いに身を投じるために露悪的に振る舞っていたが本来は優しい男である蓮が、最後の最後で感情を爆発させて「死ぬな!」「生きろ!」と叫ぶのも胸が熱くなる。蓮ほどではなくても、真司らと関わるうちに戦いを虚しく感じるまでになった北岡(これがまた本当に良いキャラ。今でも一番好きかもしれない)や、自分の命を投げ打ってまで真司を助けようとした手塚など、戦いは止められなくても少なくとも影響を与えることはできていたというところから見えてくるのは、バカにされながらでも理想論を叫び続ける尊さかもしれない。

同時に、小賢しい悪意は、理由のない圧倒的な暴力によって押しつぶされる非情さもあって、その辺りが浅倉=王蛇のキャラ人気にもつながっているのかもしれない。悩むこともなく、感情移入の余地もない強烈な悪役(当時は苦情もきたらしい)としての浅倉もまた、戦いを通じて北岡に特別な思い入れを抱き始める。必ずしも競争相手としてではなく、人と人とがつながる可能性を信じること、選ばなかった/選べなかった道と今目の前にある現実を受け入れて生きていくこと、そんな物語の締めが、「虐待された子どもたちの想像力によって作られた世界のリセットと再創造」というぶっ飛んだものになっているのも、『龍騎』がゼロ年代の重要作品として今なお語り継がれる作品になっている理由かもしれない。神崎優衣の死亡以降は全て、ミラーワールドやタイムベントの干渉があるからリセットしている…ということは、やっぱり死んだ人はもう戻ってこないという前提の話なのかも。重いな……。

カードバトルの駆け引きも面白くて、前2作より遊び心あるアクションも増えたところも魅力です。アドベントカード集めてたな。
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