ヨーク

VORTEX ヴォルテックスのヨークのレビュー・感想・評価

VORTEX ヴォルテックス(2021年製作の映画)
3.9
ギャスパー・ノエというと映画ファンの間では過剰な暴力描写やセンセーショナルな内容で好き嫌いがハッキリと分かれる監督で、悪趣味だったり露悪的とも言われるような作品を撮ることで有名な人であろう。でも実は俺はギャスパー・ノエ作品ってあんまり観たことがなくて、本作『ヴォルテックス』で多分3本目くらいなのではないだろうか。こういう作風の監督って俺は好きそうだよなって自分でも思うのだが実際にはあんまり観てないんですよね。特に理由があるわけではなくて、何となく観ていないだけとしか言いようがないのだが、まぁギャスパー・ノエ作品については詳しくはないのであんまり込み入った感想は書けない、ということですね。
ただ本作自体は面白かった。面白かったし、ギャスパー・ノエのパブリックイメージである露悪性やひねくれた感じというのはもちろん感じるのだが、しかしそれはかなり真っ当というかストレートな人間賛歌とでも言っていいような人生万歳感をカモフラージュするための照れ隠しなんじゃないかなと思いましたね。そう、この悪趣味の極みみたいな『ヴォルテックス』は俺的にはかなり前向きな人生における愛の映画のように思えたのである。
あらすじも含めて本作がどういう映画なのかというと、元映画監督なのかな? と思われる現在は「映画と夢」に関する本を執筆している夫と認知症を患った元精神科医の妻の老々介護の映画なのだが、本作で最も特徴的なのはその両者をスプリットスクリーンでスクリーン上に同時に映し出し、その二人の姿を同時に客に観せるというものである。最初の数十分くらいなら「これドキュメンタリーだよ」って言っても騙せるかもしれない。ちなみに夫の方はかなり高齢で心臓病を患っているという設定なので、認知症になった妻の面倒を一人でみるというのは現実的ではないというのがある。
まぁそうなるとじわじわと死へと向かっていく老夫婦の姿をただ見つめるだけ、ということになりますわな。夫は体が壊れていき妻は頭が壊れていく、それを止めることはできない、しかもそんな二人の姿を分割画面で同時にお見せしてくるということで、ま~たギャスパー・ノエが救いようのない映画撮ってるよ、と多くの人は思ったであろうが、個人的には上記したように生きる力や希望を感じる映画だったのである。
その理由としてはですね、本作は冒頭になんかの詩からの引用だったと思うが「人生は夢の夢である」ということが語られるんですよ。それだけだと老荘思想的な感じかなぁ、とか思うし実際俺もそういう映画なのかなと思いながら観ていたのだが、本作はラスト付近である人物が「家とは生きている人間が住む場所なのだ」というようなことを言うのである。このラストシーンがわりとガッテンガッテンなところで、あぁなるほどなー! と本作の意図する(と俺が思っている)ところが腑に落ちたのである。
どういうことかというとだね、上の方でわざわざ括弧つきで書いたように本作の主人公の一人である夫の方は「映画と夢」に関する本を書いている人物なんですよね。息子のセリフからも多分若い頃から映画業界で働いていた人なのであろう。そして冒頭では「人生は夢の夢」であるということが前置きとして語られるのである。これはあれですよね、分かりやすく夫の方は夢の夢の中で生きてきたということですよね。映画に限らずエンタメ業界というのは人々に夢を見させる仕事なのだ、ということはよく言われるところであるが、彼はそんな夢の中の夢で生きてきたわけだよ。そんな彼が老齢に達して自分の身体はボロボロになり妻は認知症を患って日に日に人格がぶっ壊れていくという現実に向き合うわけだ。本当なら「映画と夢」に関する本を書きたいのに、ボケた妻が原稿を破り捨てちゃったりしてもうそんな余裕はなくなる。そんな状況できっと彼の頭の中には「人生終わったわ」という考えが浮かんでいたであろう。後はもうどう死ぬかだけだな、という感じである。つまり彼の精神は自身の肉体に先駆けてもう死んでいた。死んでいた、とまでは断言しなくとも、死ぬことばかり考えていた。
かたや妻の方はどうであろうか? 彼女は認知症を患いどんどん思考力や認識能力が衰えていきはしていたものの、皮肉にもそれ故にということなのかもしれないが彼女には死への志向は無かったと思う。いや、そこは絶対に無かったと断言してもいいかもしれない。その証拠とも言えるのが時折正気に戻る彼女が、その正気のときに「私がいなくなればいい」と呟くことで、これは理性では死を受け入れるしかないということなんだけど、しかし認知が壊れた状態では死のことなど考えずにある意味では純粋に幼児的にただ生きるのである。
そしてラストシーンで「家とは生きている人間が住む場所なのだ」とくるわけだ。俺はこの映画で終始生きていたのは妻の方だし、そして妻が生きているということでその周囲にいる夫も生きざるを得なかった、つまり妻が夫の生きる力になっていたのだということだと思ったんですよね。これはひねくれてはいるが、かなりストレートな人間賛歌であり、生きている喜びを歌い上げる映画だと思いますよ。
そしてそんな妻の方が時折正気に戻ったように見えるときに歌う歌や死への渇望がまた切なくなるんですよ。その部分を単なる虚しい人生の最後と観るのではなく、俺は人生を生きることを讃える愛の物語なんだと思いましたね。ニヒリスティックでありながらも美しいラブストーリーだったと思う。
まぁそんな感じで面白かったんだけど、なんか長かったからスコアは4.0には届かずに3.9です。いや面白かったし好きな映画だけどね。
ヨーク

ヨーク