とりん

すずめの戸締まりのとりんのネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

2023年3本目(映画館1本目)

新海誠監督の3年ぶりとなる新作、公開から3ヶ月経ってようやく観に行ってきた。
前作の「天気の子」がストーリーは悪くはなかったけれど、声優の酷さを差し置いてもいまひとつハマりきれずに、次回作もあまり期待できずにいた。普段なら公開日とかに駆け込んだり、舞台挨拶に足を運んだりするのだけれど、今回はそれすらもしなかった。まぁ「君の名は。」での反響の大きさと自分の中での新海さんの作品としての受け止め方が変わってきたからというのはある。
でも本作、これはもう新海さんやってくれたなと思った。新海さんがこの10年で伝えたかったことはこれだったのかと改めて感じることができた。

震災からもうすぐ12年ようやくここまで来れたんだなと。実際の東日本大震災の被災者、途中には関東大震災と、これまで扱ってこなかった実際の出来事も取り上げていた。
そういった挑戦的な面も含めて、今回の新海さんが伝えたかった事、それはあのいろんなものを失った時から12年、人々は前を向きつつも少なからず誰しもが傷や重荷を背負ったまま生きている、でもそんな人たちにもそこから見出せる希望というものをここで見せたかったのではないだろうか。地震や津波は誰かが起こすものではなく天災であり、誰が原因、責めることなんてできない。それこそ神なのである。でもそれを押さえ込もうとする人たち(本作では扉を閉める"閉じ士")が決死の思いで防ごうとしていて、その重責の一端を担っているの神とも言い表していた要石なのである。その辺りもつながりを感じる。

震災直後に公開された新海さんの作品の「星を追う子ども」、あれはその前から制作されていたので意識はしていないだろうけど、本作のあのファンタジー感、特に?の世界の描写は通ずるものがあった。SFで魅せる絵力がとてつもなかった。「言の葉の庭」は除き、震災後に製作された「君の名は。」、「天気の子」と本作は3部作的な立ち位置でもあると語られていて、確かにその通ずる何かはなんとなく感じ取れていた。とはいえ「天気の子」は映画館で一度観たっきりなので観返したいところ。「君の名は。」が公開された時、前作からテイストがかなり変わったと思ったけれど、あれはあれですごく良かった。新海さんのファンの誰もが物語が始まることを想像できる終わりを迎えたラストに違和感を覚えた。前作も本作もそうだけれど、あの物語の始まり、希望へと繋がるようにしていたのはそういう事だったのかという本当の意味がようやくわかった。「君の名は。」の時も震災を意識しているのは伝わってきたし、実際に多くの命が失われる出来事を描いていた。それを防ぎたいという思いは、どうしたらあの尊い命たちは失われずに済んだのかという葛藤をも描いていたし、本作もそれを体言している。

前作に引き続き本作でも声の違和感はやはり付き纏った。新人俳優や人気俳優、タレントを起用した主要メンバーはどうしても受け入れきれない。でもこうした話題性も集大成となる本作に向けての布石だったのかもしれない。

今回も前々作、前作に引き続き主題歌はRADWIMPSが担当しているが、BGMのメインは別の方が担当されている。これがすごく良かった。地震の前触れの不穏な音楽だったり、あちらの世界に行った時の神秘的な音、細かい音使いもとても良かった。ハリウッドでの経験もある人らしい。RADWIMPSと初めて手を組んで全ての劇伴を担当した「君の名は。」はすごく上手くハマってたし、前評判を跳ね除けて、むしろ映画になくてはならない存在とまであった。しかし続く「天気の子」でも同様にした事で二番煎じ感も否めなくて、どうにも残念感があった。今回のこの内容では確実にプロの手を借りた方が良いと感じての采配な気がする。今回も主題歌は悪くなかった。

全体的にストーリーも良かった本作、ただ単純に観ていてもキーキャラクターであるダイジンが気になった。というか彼は一体何がしたかったのかという疑問がたつ。
このダイジンというのは幼いすずめの心情ともシンクロしていると思われる。
ダイジンがしっかりとすずめの前に姿を現し、可愛い猫の姿を前にすずめがダイジンに「うちの子になる?」と言った言葉から、草太が椅子にされたり、追いかけ回し全国を回ったりという物語が展開していく。この「うちの子になる?」というのはかつて震災で唯一の肉親である母親を亡くしたすずめに対し、叔母である環が言ったセリフである。まずここがシンクロしている。
また要石とは人柱ではないのかというのを観ている時から推論だてていた。もちろん劇中で言及はされなかったものの、草太の祖父が東の要石である左大臣と話している様子からも元々親交があったように感じるし、もちろん神と使いという立場かもしれないけれど、だから草太がダイジンの代わりに要石にされるというのが人柱としての役割を担わされるという意味につながるのかなと。
そう考えるとダイジンの行動は導く神のように見える反面、「遊ぼ?」と言ったり、自分のことを好きか尋ねたり、しょんぼりしたりと子どもっぽさが垣間見えている。だからダイジンは幼き頃に人柱として要石にされた存在ではないのかと深読みさえしてしまった。もしくは神だとしても、愛を知っているかはわからないが、少なからず愛に飢えていたのではと思っていて、だから「うちの子になる?」と言われたすずめの言葉をすごく大切に受け止めたのではないだろうか。
単純に観ていると、邪魔しているかのように見えて実は導いていて、生きたいとダイジン自身も思ってるはずなのに最後にはもう一度要石になる、そんなダイジンの行動が1番理解できない気もするが、それはすずめの気持ちを理解でき、なおかつ愛するひとへの気持ちへの理解が生まれたからなのではとも思った。

新海さんの作品でこれまで現実世界を描いてきた作品のほとんどが新宿を舞台としていたが、今回は九州・宮崎から始まり、愛媛、神戸、東京、て東北と舞台を転々としている。これに関して新海さんは、ここを舞台にしてという声を多数頂くことが増え、それを一気に叶えるためにいろんな場所を舞台にしたと語っていた。それでもやはり重要になるのはやはり東北である。

これで新海さん燃え尽きてるんじゃないかと心配になるほど、かなりの内容が詰まった作品。彼が今後どういう作品を描いていくのか、1ファンとして早くも次回作が楽しみで仕方ない。
とりん

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