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東京2020オリンピック SIDE:Aのヨークのレビュー・感想・評価

東京2020オリンピック SIDE:A(2022年製作の映画)
4.3
先に結論を書くとめっちゃ面白かったよ。しかしそれ以上にショックだったのは2020東京オリンピックは開催前から様々な要因で賛成派も反対派も喧々諤々のムードだったのでみんなこの記録映画に注目しているに違いないと思っていたのに、本作はほぼ批判一色で客も全然入っていないらしい。マジかよ!? って思うよ。まぁ批判一色は別にいいよ。実際に観た人が「つまんねぇ!」って思ったのならそりゃその人の感想なんだから別にいいけどさ、でも大会の方が無観客で開催されたことと結び付けて映画の方も無観客みたいにいじられるほどに客が入ってないってのはショックだったよ。いや別にオリンピックの記録映画が興行としてヒットするだなんて思ってないけど、でもオリンピックを巡ってSNSやらネット掲示板の上であんなに騒ぎまくってた人は終わってしまえばもう何の興味もないってことなんだろうか。少なくとも今後2020東京オリンピックが語られる際に重要な資料として残っていくであろうオフィシャルな記録映画を観て、どのようにあの大会が語られていくのだろうか、と気にするほどではなかったんだよな。賛成派も反対派もさも自分に思想や主張があるかのように騒いでいた輩共は騒ぎたいだけの猿共で経験に学ぶことしかできずに今後その経験がどのような歴史として語られていくのかなんてことには毛ほども興味がない無責任な奴らなんだよ。全く嫌になる。
とまぁ終わったことには蓋をするような者共への愚痴はここまでにしておくとして、映画は最初に書いたように面白かった。ちなみにオリンピックの記録映画といっても俺はレニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』と市川崑の64年の『東京オリンピック』しか見たことはない。なのでまぁあんまり詳しくはない(というかジャンル映画的にオリンピックの公式記録映画に詳しい人とかいるんだろうか…いそうだけど)のだがレニ・リーフェンシュタールや市川崑の作品がそうであったように映像作品としての完成度とフラットな記録としてのバランスが重要視されるというのは分かるし、俺が本作で面白いと思ったのもその部分だった。
これかなりびっくりしたんですけどね、本作は冒頭「君が代」をバックに雨か雪が降り続ける桜景色が映されるんだけど、あれ多分俺の勘違いでなければ千鳥ヶ淵なんですよ。一度しか観てないし数秒のシーンだったから断言はしないでおく(違ってたら恥ずかしいので)けど多分千鳥ヶ淵ですよ、あれ。凄くないですか? 東京オリンピックの公式記録映画の冒頭を千鳥ヶ淵の桜にするって。東京に桜の名所なんて他にもいくらでもあるし、しかもわざわざ雨だか雪だか忘れたけど悪天候な日の千鳥ヶ淵にしてんだよ。もうその時点で国威発揚的なね、オリンピック最高だったぜ! みたいなね、あの感動をもう一度! みたいなね、そういうのとは真逆の映画なんだな、って思いましたよ。その後に続く映像も新型コロナ禍によって世界各国の中心都市が無人になった空っぽの都市風景と、さながら戦場のような病院の風景。合間合間に開会式の映像とかも入ってくるけどそこにあるのは熱よりも醒めたような視線だったと思う。ぶっちゃけ河瀨直美の性質上、金と政治の匂いがプンプンするような近代五輪を手放しで褒めるような内容にはならないだろうとは思っていたが、しかしここまで突き放してくるというのはかなり意外だった。しかしこの映画、オリンピックの熱や祝祭感のようなものとは無縁ではあるのだがそこにはスポーツ的なものとは真逆にある要素が潜んでいると俺は思う。それは物語だ。
この映画、すげぇ面白いんだけどその面白さっていうのは物語の力だと思うんですよ。本作の特徴としては上記した冒頭のシーンが終わって本格的にオリンピックの描写が始まっても、競技そのものの描写は少なくて各競技に対して1~2人くらいの少ない選手にスポットを当ててその選手の背景を見せていくんですね。例えば難民として亡命したまま出場する選手だったり、子供が生まれたばかりなんだけど母と選手を両立しながら練習の合間に赤ん坊に母乳を与える選手だったり、人種の問題を抱えたアメリカの黒人選手だったり、そういう個人の選手の姿が競技を通してどう映るのかということが描かれるんだけど、それがもうそれぞれ短編のエピソードのようにある意味では劇映画的とも言っていい面白さなんですよ。これはともすれば非常に危険なことで、要するに物語の力を利用したプロパガンダでもあると言える。だけど河瀨がやっぱ凄いのは、本作でそういった劇化されたと言ってもいいような個人の物語を背負っているのはそのほとんどが海外の選手で、日本人選手の姿は個としては描かれないんですよね。日本の選手たちは主にバスケットボールとソフトボールと柔道で描かれたが(無論他の競技の選手も出てくるが長めの尺を割かれていたのはこの3つだと思う)、それらは全て個としての選手の物語よりもチームとして、集団としての存在として描かれていたと思う。もちろんそこで彼らが背負わされるのは難民だったり母親としてだったり人種だったりと個々がそれぞれに背負っているものではなく、集団としての物語として描かれるのだ。つまり河瀨は自作品としてオリンピックを描く際に無批判に肯定的でアゲアゲな映画にこそしなかったものの、映画の構造の中にいくつもの物語を埋め込むことを選択し、さらにそこに日本と海外という線引きをしたうえでそこからそれをより細かく集団の物語と個人の物語とに腑分けしたのだ。
すげぇ単純にアホみたいな言い方をすれば、海外はオリンピックのような世界最大の舞台でも個人が尊重されるけど日本はダメだねぇ、みたいな海外と日本を比較した際のステレオタイプな批判があるかもしれない。もしくは見方を変えれば女子バスケの監督が言っていたような「チームとしての強さ」つまり個が全体のための礎になれる強さが日本にはある、とも言えるかもしれない。それらは善悪でも正誤でもないものとして本作では描かれているが、ただやはり母であることを選択した女子バスケの選手の涙や試合後に「怖かった…」と語る柔道選手の姿を見るに集団の中で犠牲になる個人というものに対しては批判的なスタンスではあろうと思う。その全と個の物語に国内と国外の違いのようなものを乗せて物語化してしまっていることに対してはストレートに称賛だけするわけにはいかないのだが、しかしこの映画が凄いのは終盤で本作に於ける物語性自体にも言及していてそのことに対する自覚があって、種明かしとしてこの映画は物語として見せてるんだよっていうことを客に分かるようにもしているのでそこは非常に誠実な映画だなと思いましたね。ただちょっと問題なのはその本作に於ける物語性を曝け出すシーンがどういうシーンだったのか失念してしまったので具体的にどうだったか書き記すことができないのだが、そういうシーンあったんだよ。映画観てすぐに感想文を書かない俺が悪いんだが! ただまぁ本作の冒頭ですでにその物語性の提示はしているわけだからやっぱあの千鳥ヶ淵(多分)のシーンは凄いですよ。
なので本作『東京2020オリンピック SIDE:A』は物凄く多層的でテクニカルな劇映画の手法を使いながら河瀨直美の主張を孕みつつも、そういうのを鵜呑みにするとよく出来たプロパガンダ映画とかにコロッとやられちゃうぞという警告までくれる実によく出来たドキュメンタリー映画なのでした。いやー、面白かったな。
あと面白かったと言えばスケボーとサーフィンの描写ね。この二つの競技には日本と海外の区分けはなく、集団と個人の対比もなく、賢しい物語と事実の使い分けもないばかりかスポーツとしての勝ち負けすら描かれずにただ楽しそうな選手たちの姿が描かれるのでした。ここはすげぇ良かったなぁ。シンプルに新しいものに対する期待っていうか、そういう楽観性があってその二つの競技のシーンは最高でしたね。
まだ後編とも言えるSIDE:Bがあるので総括的なことは言えないが少なくともSIDE:Aはめちゃくちゃ面白いドキュメンタリー映画でしたね。普段から映画好きとか自称してる人がこれ観ないんだぁ、という不満はありますけど、面白かったからみんな観ればいいと思うよ。んで個として面白かったかつまんなかったか言えばいいと思うよ。俺は面白かったです。
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