サラリーマン岡崎

ウディ・アレンの夢と犯罪のサラリーマン岡崎のレビュー・感想・評価

ウディ・アレンの夢と犯罪(2007年製作の映画)
3.6
(2010年Yahoo!映画にて執筆)

ウディ・アレン製の英国舞台の映画第3弾。
製作は『それでも恋するバルセロナ』の前に行っていたらしく、日本では公開が逆になった。
音楽はなんと!フィリップ・グラスが担当!最高です。。。
もう、半分音楽目当てで観に行きました。

兄のイアンは父のレストランを手伝いながらも、ホテル投資を試みようとし、女優との生活を夢見る野心家。
弟のテリーは平凡に恋人のケイトとの生活を夢見るが、ギャンブルに手が出るのが困りの種。
そんな2人はある時、「カサンドラズ・ドリーム」という船を買う。
これが悲劇の種になるとは知らずに…。

この兄弟2人の差が面白く描かれている。
兄はホテル投資という大きな賭けをし、その貧しい家庭から抜け出そうとする。
それに対し、弟は低俗なギャンブルで金を賭け、決まった夢もなく、ただ修理工として毎日を過ごす。
兄が恋する相手は美人女優。
弟が愛する恋人はごく普通の人。
服装も兄はいつもYシャツなど、正装気味。
弟は常に普段着。
そんなところにも二人の違いが現れ、ユアン・マクレガーとコリン・ファレルの顔からも綺麗なイケメンと汚いイケメンという、そんなところにも性格の差異を感じてしまう。
英国ならではの階級制度の表れだろうか。
そう、まさに性格も違うのだ。
野心家の兄は行動派で積極的。
平凡な弟は臆病者で消極的。
その性格の差もが悲劇を生むとは…。

貧しい家庭の中で常に頼りにされているのが、母の兄、つまり、伯父の存在。
伯父は外国で美容整形医と成功していて、近頃中国に進出予定。もちろん、お金持ち。
母は常に伯父のことを誇りに自慢する。
カサンドラズ・ドリームを買ってしまい、ギャンブルで大損した弟は兄を巻き込み、伯父に金を借りようとする。
そこで、交換条件に持ち出されたのが殺人であった―。

もちろん躊躇する2人。
しかし、ここで伯父が言う。
「お前らに今までなんでもしてきただろ。家族の頼みだぞ。お前らとは家族の考え方が違うみたいだ」と。
伯父は「家族」を表に出してきた。
兄弟は兄がデートで必要なときに弟が車を貸したり、
弟が博打で大損したときは兄が金を貸しとお互いを助け合ってきた。
そう、2人にとっての「家族」の定義は「助け合う」仲間なのだ。
それに対し、伯父の考え方は違う。
伯父は常に彼らに出資をしてきた。
それは、どこか自己満足なところがあっただろう。
自分も貧しい生活を送ってきたというコンプレックスを消し去るため、まだ貧しい暮らしをする妹家族に出資する。
しかし、それを逆手にとって、彼らを服従させた。
兄が伯父に殺す相手のことを「金で心を動かせば?」というのがその象徴である。
そう、伯父は「家族」の定義を「利用する」ものなのだ。

さて、そんな訳で殺人をしなくてはならなくなった2人。
ずっと、悩み続け、葛藤した結果、「伯父のため」と殺人を行った。
あまりにもあっけなく終わったそれは、どこかむなしさを感じる。
弟はあるとき言う。
「一線を越えたら、もう戻ることは出来ない」
まさに、殺人というものをしてしまうと、一生その罪の重さに耐えなければならない。
どんな人にでも良心というものはあるのだから。
2人は殺人を終えた後、「今は一生今が続く」と、今のことだけを考えるようにそれを耐えようとしていた。
しかし、そんなものは長くは続かず、臆病な弟は鬱になっていく。
そう、人を殺したら誰だって正気ではいられなくなる。
ましてや、全く知らない憎みもしていない相手を殺すとなると、それはどんどん重くなるばかり。
彼らは口では「伯父のため」といっていたが、実際は彼らの「金のため」であることは否めない。
そんな、私欲から生まれた罪によって、人は悩まされる。
まさに、この2人の行方は私たちの私欲に対するメタファーであり、警告でもあるのだ。
映画の初頭、兄弟はボートの上で歌う。
「帰り方を教えて」と。

ウディの警告はさておいて、あんなに悲惨な結末になるとは…。
その悲惨な結末が訪れた後、ケイトとアンジェラが買い物をするシーンがスクリーンに映し出される。
ケイトがアンジェラに服を見せ、テリーが好むか聞く。
そこでアンジェラが言う。
「絶対好きになるわよ。だって、イアンがすきそうだもの」と。
はぁ…彼らが「兄弟」という事を再認識させ、その悲劇の重さをもっと重くする演出である。
その悲劇はあなたの目で…。