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特捜部Q 知りすぎたマルコのkuuのレビュー・感想・評価

特捜部Q 知りすぎたマルコ(2021年製作の映画)
3.5
『特捜部Q 知りすぎたマルコ』
原題 Marco effekten.
映倫区分 G.
製作年 2021年。上映時間 125分。

デンマークの人気ミステリー小説『特捜部Q』シリーズの映画化第5作。
小説も読んでるんだなぁこれが。
キャスト・スタッフには新たなメンバーが集結。
警部補カールをウルリッヒ・トムセン、相棒アサドをザキ・ユーセフが演じ、マーチン・サンフリートが監督を務めた。

過去の未解決事件を専門に扱うコペンハーゲン警察の部署・特捜部Q。
ある事件で逮捕直前の犯人に自殺されてしまった警部補カールは、しばらく休養をとるよう指示されるが、早々に現場に復帰する。
カールは相棒アサドとともに、小児性愛者の疑いのある公務員スタークの失踪事件を調査していた。
ある日、デンマークの国境警察が、スタークのパスポートを所有する少年マルコを拘束する。
カールたちは連絡を受けて駆けつけるが、マルコは何も語ろうとせず。。。

製作会社ゼントローパは、最初の4回のシリーズ化でミステリー傾向を維持していた。
カール・マークはどんどん人間らしくなっていったけど、映画に満足できなかった小生がいる。
映画化された作品には、彼らの好みからか、原作で描くのと比べたら、軽薄な和気あいあいとした表面的な話が少し多すぎた。
マーティン・ザンドブリートとプロデューサーのミカエル・リークが手がけた今作品では、そないなことはない。
現在は、ノルディスクフィルムがシリーズを引き継いでいるが、ちょうど5巻目で交代というのは、まったくもって渡りに船なんかな。
これまでのシリーズ4のカールの功罪が、過去の悲惨な出来事に対する復讐劇という設定が多かったのに対し、ロマの少年マルコが物乞いのギャングや意地悪な叔父から逃げ出すという犯罪スリラーは、このジャンルでいうチェイサーに近いかな。
逃避行の上に成り立つスリラーでした。
例えば、ヒッチコックの1959年の『マンハント』はその典型かな。
原作の逃亡劇を忠実に再現しているけど、小説より多少はしょってたかな。
また、アクションは映画的にカットダウンされていました。
一般的な犯罪小説の熱心なファン、特に原作者のいちファンとしては、プロットの幕間が失われ、一貫性を欠くという点で、このカットを問題かなぁとは思わくはない。
純粋にロジスティックやプロットの観点から、本を読んでいるほうが有利に働くかな。
長くて面倒かもしれないが、それなりに犯罪的な因果関係が出てくる。
そして、神の恵みの幻影を描く作家である、その一方で、プロットやリアリズム、ストーリーを大きく見せるのが好きな作家と認識してるかな。
今作品は、大都会のスラム街を舞台にすることが多かったけど、寥寥感ある美しい映画で、チェコのロケ地は、荒廃したコンクリートの建物、荒涼とした工業地帯、さびれた鉄道操車場など、コペンハーゲンの北ビストゥーラを強く意識したものとなってるそうです。
カールは、新しいビルに引っ越したので、もう古い警察署の下にはいない。そして脚本家のアンダース・フリティオフ・アウグストとトーマス・ポルセーガーは、ポットの中のコーヒー、ドタバタした雑談、無難な面白さなど、書籍の特徴である土臭いコメディを見事に描けてるかな。
汗だくのアンデルス・マッテセンを筆頭に、おしゃれな外務省の卑劣な連中が、アフリカを皮肉りながら詐取している。
ぬるぬるしてる。
同様に、文章に内在するサディズムのトーンも完全に消え去ることなく抑えられているかな。
ダークと特捜部Qの同僚たち、とりわけアサドやローズとの関係は、社会主義的なまでにシンプルに削ぎ落とされている。
彼らは良き仲間であり、その過程で本当の友人になることができます。
ウルリッヒ・トムセンが幻滅し、トラウマを抱え、事実上ホームレスになったカール・モルクを描いたことが、この映画を凡作以上のものにしているんかな。
彼の絶望的な目、神経質な顔、反抗的な口元は、この映画の永遠の魅力でした。
今作品は、映画的には、今作品は犯罪を決定的に煽るというよりも、面白くて独創的な映画であると云えるかな。
前作のような人気作になるのかは別として、新たな役者を受け入れれたら面白い作品と云えると思います。
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