晴れない空の降らない雨

カリガリ博士の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

カリガリ博士(1920年製作の映画)
4.6
製作国は違うが、『散り行く花』と同様の、サイレント映画が映画として成熟していく過渡期的な特徴がみられて面白い。
第一次世界大戦後、イタリアに代わって映画産業のトップに躍り出たのがアメリカとドイツだったわけで、その歩みに並行性があるというのは興味深い。
というより、こちらは自覚的な折衷主義といえそうだ。奇妙に歪められた書き割りのセットや大仰な身ぶりなど、演劇由来の成分を誇張しながら採用している。ついでに言えば、シーンの開始と終了に使われるアイリスも、舞台における幕の代替物のように見えなくもない。リヒャルト・ワーグナーが夢みた総合芸術をオペラに代わって実現しよう、という意志を感じないだろうか。
しかし、本作に採り入れられた芸術はもっぱら同時代の表現主義であるから、伴奏音楽もその後ホラー映画の定番となる無調である。


さて本作は、権力=知の所有者の善性を疑いつつも、結局はその疑念が妄想だったというオチをみせる。そこに、ドイツ中間層の旧体制(権威)に対する敵対意識と根強い服従意識の共存という両義性をみる、古典的な解釈がある。
あるいは、パラノイア患者に自己投影するほどの方向喪失のなかに、敗戦後のドイツ人が置かれていたと捉えることもできる。

ところで、パラノイアという題材に関して、症例ワーグナーの影響は大きかったと思うが、言及されているのを見たことがない。先述の大音楽家とは無関係の症例ワーグナーとは、内なる被害妄想との長年の格闘に敗れ、1913年に妻子を含む14人を殺害し、精神病院で残りの人生を過ごしたオッサンである。
また夢遊病も、19世紀末の小説『ハイジ』などでよく知られていた病気だ。
実際、本作が公開された時代というのは、精神医学が発展し、精神分析も徐々に広まりつつあった。さらに大戦中・後に今でいうPTSDが戦争神経症という名称で知られるようになった。このように、心の病への大衆的関心の高まりがあったわけだ。

しかし、本作の関心はいかなるものであったのか。表現主義やシュルレアリスムなどの当時最先端の芸術が、心の仄暗い深淵を見つめようとしていた事実を重視すれば、本作における狂気への着目もそうした「芸術」的関心のもとにあったと言える。
けれども、『カリガリからヒットラーへ』という歴史観を採用するなら、精神障害者を大量安楽死させたナチスのT4作戦のことを思い出さなくてはならない。

本作における精神疾患者の表象は果たして、大量殺戮の支持に至る傾向を有していたか? という問いを立ててみると、結局は先に挙げた両義性と同じものが見出せる。
一方では、場面が精神病院に移り、たった今まで回想のなかで正常な人間として振る舞っていた主人公やヒロインが端から狂人だったことが突如示されるとき、正常と狂気の境目のぐらつきをアピールしているようにも見える。ちょうど本作の幻惑的なセットが、現実と妄想の境目を怪しくしているように。
他方では、明らかにフツウでない様子の患者たちを一堂に写すとき、精神疾患者を見世物として、現実=正常という安全圏から面白がっているだけの側面もあると思う。

こうした両義性には、あのお馴染みの両義性もピッタリと重なってくるだろう。1920年代の映画製作者をいよいよ悩ますことになる、映画の芸術性と娯楽性という対立である。ここでやはり、ナチスがモダニズム芸術を退廃的だと弾圧し、より大衆に分かりやすい表現形式を好んだことを思い出さなくてはならない。もっとも、20年代から進んでいた「文化のアメリカ化」のなかで、モダニズムは息を止められる運命だったのだが。(このように見ていくと、ナチズムとアメリカの産業社会が同根であることを見抜いたアドルノの慧眼が連想されよう)
「カリガリからヒットラーへ」と直線を引くのは、のちの歴史を知る者の後づけだろう。それでも、この『カリガリ博士』に重大な精神的岐路が集約されていたことは確かだろう。