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トリとロキタのArdorのネタバレレビュー・内容・結末

トリとロキタ(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

「ヒューマントラストシネマ有楽町」にて鑑賞。

 これまでこんなに直裁な暴力が主人公の子供に向かって行われることは、ダルデンヌ兄弟の映画にはなかった。寡黙な子供が笑ったり泣いたり表情を見せず、ひたすら何かしている行為を説明なしで映像に映し出し、何が行われていたかわかったと同時に子供の感情がものすごい勢いで見ている自分に入ってきたので、暴力の必要がなかった。

 「不吉な子」として国から拒絶され、難民として訪れた国で暮らしを成り立たせるために(あるいは拒絶された国に返されないために)養護施設にいるふりをして、ウーバーイーツの配達人のふりしてイタリア料理店でドラッグの運び屋をする。

 プラットフォームワーカーの不安に満ちている。ウーバーイーツで働いたことがあるけど、依頼が入って次にどういうところに行くのか、行ってみないとわからない。で、それがテレコミュニケーションデバイスで繋がったり、切断されたりする。大人の僕はそれがむしろ楽で、辞めたい時にログオフして、やりたい時にやれる。でもその権利がないトリとロキタには、接続と切断で立ち現れる容赦ない大人たちは不安でしかないように見える

 プラットフォームワーカー的な不安は雇用の問題としてケン・ローチの「家族を想うとき」ですでに萌芽があった。あれは0時間契約という法に基づく、派遣でも、社員でもない、個人事業主という雇用形態だった。あの時もケン・ローチはここまで救いのない話を書くか、と思った。ケン・ローチは引退を撤回してまでこの映画を撮った。ダルデンヌ兄弟の今回の作品も同じように「本当にやばい余裕のない現在」に対して強い苛立ちや失望、怒りを感じる。(ダルデンヌ兄弟に関しては前回の自分は「その手を離さないで」からそう感じていた。)

 しかし、一方で絶望的な現代、物質的繋がりがあっても死ぬ、ネットで繋がっても死ぬ、という世界で、トリとロキタ偶然にも出会い、守りあった。現実世界が異常すぎて寓話的世界になっている。最後、2人とも死ななくてよかった。


もう一つ書いておかなきゃいけないのは移民・難民の問題とブローカーの問題。出国やビザなどを用立てる。日本でも入管の本当に酷い問題が明るみになるが、その背後に難民や外国人が出国の際に接近した現地ブローカーの話しも気になっている。
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