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ホワイト・ノイズのArdorのネタバレレビュー・内容・結末

ホワイト・ノイズ(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

最近は割とメタファーを読み解くようにして映画を見ているけど、そもそもこの映画はマレー(ドン・チードル)メタファーの講義で始まる。映像表現に出てくるクラッシュは観客を無邪気な喜びにいざないつつ、メタファーとしては「進化」である、と。今考えるとこれが大いなる伏線だった。


スーパーがカラフルなのがまず目を引く。原色系のカラフルさとバベット(グレタ・ガーウィグ)の着色料など健康にやたらとコンシャスな態度から、どうも資本主義の象徴としてのプラスティックさなのかな、と思いきや、その後も赤と青を基調に、化学ラボの緑、検査をする病院や娘の部屋、最後の救急病院のオレンジなど細かく色分けされている。ジャック(アダム・ドライバー)とバベットのベッドは、布団の部分は青系で、背もたれの部分は赤系、どうも、うまく行っていない部分が青で、覚醒している部分が赤なのかな?と思いながら仕分けしてみていると、それっぽいんだけど、時々これはどういうこと?という風になる。最後にバベットがもろに原色の青い90年代風の服を着てきたのがよくわからず、これは彼らにとって死の意味が変わって、反転したのかな、と思った。そして、色々あって最後にまたカラフルなスーパーへ戻っていく。(反転したといえば、ぬいぐるみを拾ったり、スーパーで万引きしたりした髪の薄い長髪の男、あれは最初「死」の予兆みたいなもの?と思ったけど、どっちかというと見終わる頃にはそれを超えた「生活」の予兆っぽくも思えた)

ジャックとバベットがともに、一人の男を巡って、嫉妬をするような関係にもなるが、互いに自分がいかに死に近いかの競争になる。惨事から帰ったジャックは死を予見するのだけど、死は音で、白いそうだ。ダイラーを求めて治験の現場に行く。銃はマレーに持たされたもので、「死を殺す」ものだ、と。(俺は死ぬ側から殺す側にまわった)そうするとファイトクラブの最後のシーンもより説得力を増すな、銃社会の歯止めの聞かなさも、、と余計な連想。

そもそも有害物質の惨事の下りで、ジャックはデジャブを見る体質になっているかもしれないので、起こることが現実なのかすでに体験しているのか寓話なのかよくわからないけど、最後に修道女がいる救急病院で、修道女が「私たちは患者が信じたら安心だから神の存在を信じているが実際は信じていない(どうでもいい)」というようなことをいう。

モノの本質とはなにかはどうでもよくて、その作用さえつかえればどうでもいい、というはぐらかしで物語が終わる。

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死について取り憑かれながらにして、死に近づく誘惑よりも死を怖がる、二人の態度がいまいちわからず。結局はバームバックの夫婦と家族の話をメインに見てしまった。そういう意味では息子が惨事の現場で大活躍したり、娘が母の薬の在処を知っている、そんなことを全く知らない大学教授の父のジャック、そしてそのジャックに死への近さと性愛の嫉妬を感じさせるファム・ファタル的な妻のバベット。
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アンドレ3000が出てたのはどこ?あの惨事の現場の閉じ込められた建物で喚いてた人?
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