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ベイビー・ブローカーのArdorのレビュー・感想・評価

ベイビー・ブローカー(2022年製作の映画)
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ユナイテッドシネマとしまえんにて鑑賞。
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是枝監督の従前のモチーフ、「法外の家族」に、クライムサスペンスの要素をもほんのり加わっていて、みていて飽きなかった。
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今回はロケーションや道具を通じてメタファーの読み解きをする映画を見方をしたら面白かった。
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 まず、プサンとヨンドクとソウルという三つの場所。
 プサンは雨の階段が象徴的。「パラサイト 半地下の家族」では大雨で階段を延々と降りていくシーンがあった。同じように格差を象徴しているのか。プサンではサンヒョンがクリーニング屋+洋服の直しをしている。これは「そして父になる」のリリー・フランキー中古家電屋が付合する。壊れたものを直して使えるようにする仕事。両者とも生まれたものに対する、試行錯誤を大事にしているといえる。このブローカー・サンヒョンとドンスにソヨンは息子ウソンと巻き込まれる形で加わることになる。ここから、ロードムービーとなり、いろいろな乗り物が現れる。サンヒョンたちは、中古のワゴンに乗ってヨンドクへ向かう。ワゴンのロードムービーといえば「リトル・ミスサンシャイン」のような問題を抱えた家族の話が思いつく。一方で、刑事スジンと後輩は高級セダン(レクサスだった気がする)にのってワゴンの一味を追う。この中古ワゴンと高級セダンの対比も「そして父になる」の中古家電屋とタワーマンションっぽい。本作は車の違いで家族の在り方について象徴的に意見を戦わせる。
 ヨンドクでは、ウソンの初取引、ドンスの育った児童養護施設などがある。海辺の街。海は自由・変化・希望の象徴。途中で家族に加わるヘジンの名前も「海へ進む」という意味。サンヒョンたちはプサン(格差)とヨンドク(希望・自由)を行き来しているのだろう。しかし、色々話が進むにつれて、舞台はソウルに移り、法外の家族が、解体される。
 まず、電車に乗る。電車は公共の場。それから二階建てバス。観光客となる。観覧車、一対一の乗り物。塊としての家族が、俯瞰的な視点で解体されていく。
 一方、セダンで追っていた刑事のスジンはソヨンとやりとりを通して、親の在り方の考え方を変えはじめる。そこに流れるのは映画「マグノリア」で使われたエイミー・マンのwise up。「マグノリア」のメインのテーマは「親子の赦し」。観覧車の中のスヨンとドンスの話に付合する。スヨンとドンスは恋人のような関係になりそうでありながら、子に捨てられた母、母に捨てられた子の関係である。スヨンは「私は子を捨てたひどい母親。子供は別に私を許さなくてもいい」という。
 このエイミーマンのwise upは、いつも繰り返す失敗のサイクルから抜け出して、賢くなろうよ、という歌詞。マグノリアではここだけミュージカルシーンになり、ジュリアン・ムーアは車の中で1人で歌う。家族の営みの中でできた愚かしさを乗り越えていこう、という。また、このシーンで「家族、とくに子から親への赦し」に寛容になった刑事スジンの象徴的シーン。
 あと、気になった象徴的小道具はスジンと後輩が食べてたプチトマト。スヨンが理想の傘をいちごの柄の傘と言っていたのに付合するのかな。女性性、女性の大事にしているもの、あるいはシスターフッド。そして、傘は家族の最小単位としての「結婚」。スヨンが語った「雨がふったら傘を持ってきて(引用曖昧)」の意味をまだ考えている。遠回しのプロポーズでは。
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 長くなった。
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